今月のメッセージ」カテゴリーアーカイブ

当団の呼びかけ人より、月変わりで皆様にメッセージをお届けいたします。

2023年6月:「川広 肇」

 


順番が来たので2月に書こうと思っていた「呼び掛け人メッセージ」ですが、4ヶ月も遅れて今頃になってしまいました事を先ずはお詫び致します。

さて、今回の「呼び掛け人メッセージ」は、メッセージと言うよりは「私の反省文」です。
 実は私は、今年の2月4日に大きなバイクの自損事故を起こしてしまい、精神的にも肉体的にもかなりのダメージを受けていたのです。
(ナ~ンチャッテ、でえれえ(orぼっけえ・岡山弁)誇張しています。「呼び掛け人メッセージ」を書くのが遅れてしまった事に対する苦しい言い訳です。)

2020年3月に、コロナの所為で博物館が閉鎖されてしまった事は皆様御存知かと思います。2021年12月には一応再開を許されたのですが、コロナはまだまだ収まっていない為客はほとんど来ないので、開店休業状態が暫く続きました。
2022年の4月頃から、カンボジアのコロナが少し落ち着いて来たのに合わせて外国人客がチラホラ来る様になりましたが、日本人客は未だほとんど来ません。
日本人客が来ないので私の出番は無く、従ってコロナ以降の3年間で私が博物館に出向いたのは、アキラ氏に会う用事がある時か、偶に訪れた日本人客からの要請が有った時かのほんの数回程度でしかありませんでした。
(それまでは、週4日は通っていたのに・・・・。)

2月4日のこの日は、一年に一度の私の大きな任務である、応援団員の皆様から拠出頂いた応援基金のお金を、アキラ氏に直接届ける日でした。
 我が家から博物館までは距離が20数キロあるので、以前は慣れていてそれ程苦に感じなかった道程が、偶に行くとなるとエライ遠く感じる様になっていました。
ですから、コロナ以降に博物館に行った数回は、全て妻の運転する車で送って行って貰っていたのですが、この日は妻の都合が付かず、久しぶりに一人でバイクで行く事になりました。
朝10時に博物館でアキラ氏に会い、応援基金のお金を手渡して、HPに載せる為の写真を写し、少し話した後直ぐに帰途に就きました。
11時には子供を小学校に迎えに行かなければならなかったので、それ程ゆっくりしておれなかったのです。
 プラダック村に入った時、まだ10時半だったので、慌てなくても十分お迎え時間に間に合うなと思ったところまではハッキリ覚えています。

ところが・・・その後の記憶がありません。

事故の前後の記憶が吹っ飛んでしまい、どの場所でどんな事故を起こしたのか全く覚えていないのです。
 カンボジアに住み始めて2年後の2013年に起こしたバイク事故の時も前後の記憶を喪失したので、私の場合これが初めてではありませんが、大学生の時に起こしたバイク事故の時は、気を失う直前までの事を鮮明に覚えていますので、年を取ってからこんな体質になった様です、ハハハ。
(って、どれだけ事故ってるんだっちゅう話ですが。)
覚醒した時には救急車の中で、そのままシェムリアップの州立病院に担ぎ込まれてしまいました。
 後から聞いたところによりますと、このプラダック村で転倒事故を起こして気を失い、近所の人が救急車を呼んでくれた様です。
 病院には直ぐに妻と妻の姉が駆けつけてくれ、その後ずっと付きっ切りで看病してくれました。
恐らく救急車の中で、自分の携帯で妻の電話番号を示し、誰かに電話して貰ったものと思われます。
 これも後から事故ったバイクを保管してくれていたプラダック村の警察署に、バイクを取りに行った時に聞いたのですが、事故はあくまで単独であって、デコボコになった道でハンドルを取られて転倒したのだろうとの事でした。
   プラダック村から博物館に続く道は、4年前の2019年末に1年位掛けて補修工事が行われ綺麗になっていたのですが、数ヶ月したらもうあちこち穴だらけになっていました。
(カンボジアの舗装工事は、原材料をケチっているのかこんなのが多いです。)
昔の様にしょっちゅう走っていたら、何処が危ないかは頭に入っているのですが、この時は本当に久しぶりだったので、道(ミチ)の状態は全くもって未知(ミチ)でした。(ここは、笑って下さい。)
時間に余裕があったので、決して飛ばしてはいなかった(数年前迄は熟年暴走族だったのですが、2018年に結婚してからは守るべきものが出来たので決して飛ばさなくなり、この時もゆっくり走っていました)のですが、手に大きめの封筒を持っており片手運転だった様に思います。
そんな中、突然目の前に大きな穴が出現し、咄嗟に避けようとして転んだのではないかと推察しますが、ホントのところは分かりません。何せ記憶が綺麗さっぱり消え去っているのですから。

病院でCT検査やレントゲン検査を受け、ろっ骨が3本折れていると言われました。加えて肩の骨がどうのこうの、頭と胸に血が溜まっているだのと言われましたが、何せ通訳してくれたのが医療関係者では無かったので、詳細が分からないまま20日程入院しました。(州立病院は2日間だけで、その後、親戚の勧めでより設備の整ったプノンペンの病院に転院しました。)
 2月下旬、とりあえず退院しましたが、右腕は痛いわ、歩行はままならないわ、起き上がった時に目が廻るわでホントにボロボロの状態でした。

しかし、今回の事故とは関係なく、前々から3月には家族を連れて日本に一時帰国する予定だったので、飛行機に長時間乗る事に不安はありましたが敢えて決行し、日本の地を踏みました。そして、岡山の私の実家に到着後直ぐに外科と脳神経外科の病院を受診したところ、衝撃の診断結果が告げられました。
ろっ骨5本の骨折、鎖骨の骨折、肩甲骨2箇所の複雑骨折、頭蓋骨にひびが入っていて、硬膜下血腫が出来ていると。
 ガビーン、そんなに重症だったのかと、頭がクラクラして来ました。(事故以降、頭は絶えずクラクラしていましたが・・・ええかげんにせえよ、こんな冗談を言っている場合ではありません)
よく生きていたなあ、ヘルメットを被っていなかったらヤバかったかもと改めて恐怖に震える思いでした。
 頭の硬膜下血腫は、血が止まらずに血腫が更に大きくなる様であれば、血を抜く手術をしなければならないが、暫く様子を見よう、骨折の方は、手術をせずに放っておこう(?)という話になりました。
外傷はほとんで無いので、見た目には事故前と何ら変わりなく、こんな重症だったとは誰も思いません。

日本に約1ヶ月滞在し、その後クメール正月前にカンボジアに戻って来て、家にて療養を続けていますが、硬膜下血腫の方は大分良くなっているものの、4ヶ月経過した今でも未だ右腕の痛みはかなり強く残っていて上に上がらず、日常生活に不自由を強いられています。家に籠もりっきりですので、気が滅入るばかりです。

カンボジアのお寺で何度目かの厄払いを受け、改めて思いました。
事故はもうコリゴリ、何としてもこれで打ち止めにしたいと。

皆さんも、くれぐれもお気を付け下さい。命あっての物種です。

 

 

2022年11月:「中村雄一」

 

 

みなさんこんにちはなかよし学園中村です。

ようやく世界ではコロナ禍も終わりました。私どもなかよし学園はこの3年間の間にカンボジアを含む4カ国12回の活動を行って参りました。


アフリカ各国でコロナに扮してウイルス対策授業を行う


そして今年7月。念願のカンボジア活動を再開しました。
2年ぶりに見るシェムリアップ。感慨もひとしおでした。

カンボジアではコロナそのものよりも経済的打撃が厳しく、学校は午前中授業で先生達は午後から出稼ぎに行くという状況。そこで僕らはお笑い芸人のメンバーを連れて生徒達を楽しませようと授業を行なってきました。

また、地雷博物館ではパスタ料理をレクチャーするなどこれからの観光再開に向けて準備のお手伝いをおこなっています。


また今月にはアフリカ、コンゴ民主共和国で活動の際に私自身が戦争に見舞われました。初めてカンボジアを訪れて10年。アキラをはじめ多くの仲間達が経験した戦争というものを肌で感じ、その残酷さ、悲しみに本当の意味で触れました。

私はカンボジアを訪れた際に、アキラとアフリカの仲間をテレビ電話で繋ぎました。同じ戦争を体験した世界の仲間達を繋ぎ、日本を繋ぎ、より世界が一体となった平和を作っていくためにこれからも頑張ります!

みなさんのご支援、ご声援よろしくお願いします!

 

なかよし学園代表
中村雄一

なかよし学園HP
http://www.nakayoshigakuen.net/npo/index.html

 

2022年8月:「古白川 真」



微力ながらプロボノとして応援させて頂いている地雷博物館と地雷撤去団体CSHDですが、今回ほど気持ちが重く、筆が進まない事はありませんでした。

今年の頭、CSHDの地雷撤去隊員3名が作業中の対戦車用地雷暴発で亡くなりました。

もう1人は重症。

私が初めて地雷撤去作業に同行させて頂いた時から、チームの中で1番仲良くしてくれていたメンバー達でした。

中にはまだ幼い子供を持つ隊員もいます。
小さい子供はまだ状況を理解していません。

去年交通事故で亡くなった弊社スタッフの件もあり、やや人の死に対して慣れてしまった中でも、小さい子供の事を考えると胸が張り裂けそうになります。

自分の命を犠牲にして数えきれない人を救った彼らに心からの敬意を評します。

現地のSNSでは色々な情報が出ていましたが、1点彼らの名誉の為に。

今まで十数年間無事故、地雷撤去のエキスパート中のエキスパートでした。

それでも事故は起こる。それでも100%事故を避けることはできない。

「地雷や不発弾は人を殺す」

最も辛い方法で改めてそれを認識することになりました。

重症の隊員ポーイは子供の頃地雷で片手片目を失いそれでも尚地雷撤去の仕事をしている。

私達が机上の空論で語る理屈とは比べ物にならない世界で彼らは動いてる。


これからも出来る限りの支援をしていくつもりです。

 

彼らに仕事がない時は一緒に山に行ったり、川で泳いだり、音楽をかけて踊ったり。

何でもない楽しかった時間を思い出して、やりきれない気持ちになります。


アキラはCNN HEROになり世界的に有名になりましたが、英雄は彼だけではありません。
自分以外の誰かのために文字通り命を賭けて活動し、そして亡くなりました。

居なくなって初めて人はその偉大さを知る。
何度考えてもやりきれない。

Simet, Chok, Vongに心から追悼の意と最大限の敬意を。

2022, 09, 01
古白川 真

2022年5月:「桑原さおり」

 

 

皆さんこんにちは。

シェムリアップを起点に旅行者向けのフリーペーパーの制作・編集。

スタディツアーの現地アテンドをしています。

在住12年目になります。

 

2020年3月頃からコロナで旅行者の規制がかかり、丸2年がたちました。

シェムリアップは世界遺産のアンコールワットがあり、世界中から観光客が訪れるので主に観光業の町です。

コロナにより、観光客向けの多くのホテル、伝統舞踊ショー、飲食店が淘汰されていきました。

 

そこには多くのカンボジア人の観光ガイドもいました。

各国の言語をたくみに使い、遺跡の魅力を存分に伝えてくれます。

シェムリアップの人々の憧れの仕事であり、その知性・ホスピタリティはシェムリアップの宝物のような存在です。

大勢のガイドが仕事を失い、農村での作業や、ドライバー、屋台を始めたりしていますが、習得した言語は使わないと忘れてしまうので、その才能が活かされないことに対してもったいない気持ちになります。

 

とはいえコロナ前までは、観光業依存の町でいつも観光客の動向を伺い一喜一憂していました。

アンコールワットを含む多くの遺跡もそうですが、町中に観光客がひしめきあい、観光客中心。カンボジア人は常にその脇にいる印象でした。

コロナで海外からの観光客がいなくなった今は、世界遺産も町中の多くのレストランも、カンボジア人が利用するカンボジア人が主役の町になっています。

またコロナ禍で観光者がいない期間中に、それこそ観光者がいたら困難を極めるような、大掛かりな道路工事を促進し、町全体が美しく見違えるようになっています。

 

在住者の私たちも、各々の生活において決断をしていきました。
多くの在住者が日本に帰ったり、プノンペンに仕事を求め居住を移しました。
私自身はコロナ前の仕事は全てストップしていますが、帰国を選ばずこちらで生活しています。

 

そんな私のところには、「仕事がない、仕事が欲しい」と毎日のようにカンボジア人から連絡が来ましたが、また同時に「食べ物はあるか?米ならあるから欲しいか?」という連絡も来ていました。

大家さんも私に仕事がないのを察して、毎日のように食事を届けてくれました。

 

この先どうなるかわかりませんが、徐々に規制も緩くなり、欧米人を中心に観光客が戻ってきています。

コロナ前までは、シェムリアップの町のスピードは加速するばかり。

町中に観光客が溢れ、トゥクトゥクや車やバイクの往来が激しく町全体が毎日お祭りのようでした。

一度コロナでスローダウンして落ち着いた今、自分自身がまたあのスピードに戻ったら付いていけるかが心配です。

 

このコロナ禍で、あらためて静かでのどかなシェムリアップの町の居心地の良さや、カンボジア人の暖かさ優しさ強さ逞しさを感じました。

 

これからこの町がまたどう変わっていくのか、その景色の中で過ごせることに感謝しています。

 

2022年2月:「鬼 一二三」

 

 

問題だらけの国で冬季オリンピックが開催されています。
本来は平和の祭典であるはずのスポーツイベントが、今回は素人目にも危険極まりなく非常識な形で行われているのは、ただメダルを獲るために命をかけて練習を続けて来たアスリート達のためだと考えるしかありません。
世界中の優れたアスリート達が心身ともに無事それぞれの国に帰国できますように。

 以前の戦争は、敵にも味方にも目に見える武器が使われていました。
アキラ君は武器の取り扱いではプロ級の技術力を持っていたために任務として地雷を設置していたそうです。
踏まれるまでは武器生命が絶たれない恐ろしさを熟知している彼だからこそ、戦後はその除去処理作業を続けています。

 現在の戦争は、ほんの一握りの人以外には目に見えない武器が使われているようです。敵も味方も分からず、マスコミに翻弄されながら知らないうちに心身ともに侵されていくという、真に恐ろしい世界になりました。
ほとんどの人々が「この非日常を一日も早く終息させて、コロナ禍以前の生活に戻りたい」と祈っているにも関わらず「コロナ以前には戻さない」という「今だけ金だけ自分だけ」勢力があると言います。

 戦争も地球温暖化もSDGsもワクチンも、何が本当なのか、裏で操っているのはだれなのかを知り、騙されないで生きていく力を一人でも多くの人が身につけ、声を上げていかなければならないと思います。

 

 

 

 

2021年11月:「岩田亮子」

 

 

カンボジアのバッタンバンと言うタイとの国境に近い州の児童養護施設
「Hope Of Children(HOC)」で、自立支援をしております岩田亮子と申します。

「HOC」は、カンボジアの僧侶が運営するローカルNGOです。

施設自体の「支援を必要としなくなる支援」と、子ども達が自分の力で生活できるようその自立を目指し活動をしております。
今年で十三年目を迎えました。

自立には教育も重要と、学校では教えない大切なことを「HOC」では少しずつ教えながら、学校の授業を補完して参りました。

その一環で10年ほど前にアキ•ラー氏に「HOC」に来て頂き、子どもたちにその半生を話して頂きました。
カンボジアの子ども達でありながら、カンボジアの歴史を本当の意味で教わっていません。
戦後育ちの子ども達、戦火の中で育った親からも聞いたことが無かったようなラー氏の話に、ポカーンと口を開けて聞き入っていました。
大切な生きた授業をして頂きました。

その後、子どもたちを連れて初めて地雷博物館へ行き、子どもたちとも交流をさせて頂きました。

これこそ心を育てる教育だと思います。

しかし、このコロナ禍で子ども達の休校が通算一年近く続き、名ばかりのオンライン授業はやっていましたが、格差の中で物理的に授業を受けられないものは放置され、貧乏人は教育の機会も与えられない、友達にも会えない状況、この国は子ども達を本当に育てようとしているのかなと子ども達の未来を思うとやるせない気持ちになりました。

カンボジアには、教育者も知識人も失い教育が完全に寸断された時期があります。
その後に生まれた子ども達は、その負の遺産だけを背負い教育者が育つ前に自分が育ってしまい、社会に放り出されて生きているような状態です。

戦後の日本とは全く違う環境での戦後復興だったと言うことも踏まえ、その戦後育ちが今のカンボジアを支える大切な人財であることも考え、カンボジアだからこその教育に光を当てなければならないと思っています。

子ども達の夢の選択肢を増やし、その夢を育むような教育の場を創りたいと思っております。

是非またアキ・ラー氏には講師として子ども達をご指導頂きたいですし、皆様にはお知恵や知識、技術を授けて頂き、カンボジアの未来を担う若者を一緒に育てて頂けたらと夢想しております。

戦わず、共に支え合い、育て合う社会、アキ・ラー氏もそんな社会を目指していらっしゃるのではないかと思い、応援させて頂いています。

宜しくお願い致します。

2021年7月:「川広 肇」

 

「コロナパンデミックの下での東京オリンピック開催」

 

ハアッー、この先世界はどうなるんでしょうねえ?
ため息しか出ません。

2019年12月に、中国の武漢で発生したと言われている新型コロナウィルス感染症が、その後燎原の火の如く世界中を駆け巡り、1年半を過ぎた今でも多くの国で惨禍が続いています。日本では、アメリカやヨーロッパ諸国に比べると感染者数、死者数は少ないとは言え、それでも2021年7月現在で感染者累計90万人、死者累計15000人と、「さざ波」などとは決して言えない状況です。
(例え死者数がもっと少なくても、一人ひとりの命の重みは測り難く、前内閣参与の高橋洋一氏の「さざ波発言」は許し難いものですが)
少しでも早く終息して欲しいと、誰もが願っている事でしょう。

しかし、そんな中、日本政府は半数以上の国民が反対するのを押し切って7月23日、東京オリンピックを強行開催しました。
それも、東京に緊急事態宣言が発出されている最中に。

尋常な感覚とは思えません。

それでなくてもインド由来の変異株・デルタ株の流入で第5波が押し寄せ、東京の感染者数はうなぎ上りで医療崩壊が起きかねない状況の中で、オリンピックが開催され世界から選手、関係者他10万人以上の人々が入国し、また日本からも選手、大会関係者、ボランティア、警備その他のスタッフが集合すれば、無観客開催になったとは言え大勢の人が集い感染拡大の危険が増すのは火を見るより明らかです。

国民には不要不急の外出を控え、家でおとなしくしていなさいと自粛を強いながら、一方で菅首相や小池都知事が金メダルバンザイと叫んでいる光景を見て、誰が政府や都を信頼するでしょう。心が折れるばかりです。
まあ、猪瀬元都知事とか、政商の竹中平蔵氏、その子分の高橋洋一氏とかのお歴々は別ですが・・・。

GoToトラベルの強行でアクセルとブレーキを同時に踏むのかと散々批判されたのに、性懲りもなく又しても同じ過ちを繰り返し、国民に、オリンピックをやっているんだからそんなに心配しなくて大丈夫だろうと言う誤ったメッセージを送る菅政権。

医療現場では、このまま突き進むと医療崩壊が起き、救える命が救えなくなると警鐘を乱打しているのに、菅総理がその悲痛な叫びをどれだけ深刻に受け止めているのか、甚だ疑問です。
口から出る言葉は、オリンピックと感染拡大は直接関係ない、テレビ観戦でむしろ人流は減っている、高齢者のワクチン接種が進んで重症化リスクはかなり減少しているといった楽観論ばかり。
国民と政府の間で危機感が共有されなければならないと叫ばれているのに、政府の側にその危機感が全く感じられません。

政府の最大の使命は国民の命と暮らしを守る事ですが、その命題に真剣に取り組んでいるのか。
日本でのオリンピック開催が、国民の命を天秤に掛けてもなおかつやるべき事なのか。

私にはそうは思えません。

オリンピックが本当に崇高で、平和の祭典と呼ぶに相応しいものならば話は別ですが、決してそんな気高いものではありません。
IOCが如何に金まみれで高圧的な組織であるか、バッハ会長がぼったくり男爵と呼ばれている事など今回初めて知った事も多々ありますが、それに加えて、特に今回のオリンピックは、ウソと利権にまみれた、或いは自己保身、自己顕示欲の道具に成り下がったものとなっています。
大体誰が招致と開催実現に尽力したかを見れば、一目瞭然です。
石原慎太郎氏、猪瀬直樹氏、安倍晋三氏、そして菅義偉氏、小池百合子氏・・・。
この人達の頭にあるのは、オリンピック憲章の崇高な理念などでは決して無く、経済効果と国威発揚、自分の政権や身分維持、レガシー作りだけです。

今回のオリンピックはそもそもウソで始まっています。
日本の7月8月の気候が温暖で一番スポーツするに適していると言ってみたり、原発事故はアンダーコントロールと言ってみたり。
JOCの竹田前会長の招致を巡る汚職疑惑もありました。
その他、エンブレム盗用疑惑問題、国立競技場建て替え問題、組織委員会森前会長の女性蔑視発言問題、小山田圭吾氏の過去の障害者いじめ問題、小林賢太郎氏のホロコースト揶揄問題、JOC経理担当部長の自殺問題、最大手広告代理店電通の中抜き問題、大会予算7000億円のコンパクト予算が3兆円規模に膨れ上がった問題、その他経費に関する深い闇等々これも上げれば切りがありません。

幸い無観客開催となった為、熱中症で観客やボランティアの人々がバタバタ倒れ救急搬送されるといったおぞましい光景は見なくて済みそうですが、もしオリンピック発の変異株でも生まれ、世界に広がる様なことにでもなれば、もう東京オリンピックは世界暗黒史に名を残す悪しきオリンピックとなり、日本のステータスは地に落ちるでしょう。

私は、2012年の招致段階の時から日本でのオリンピック開催には反対でした。
何故なら、オリンピック開催に懸ける金と労力があるんだったら、それらをそっくり震災復興に懸けるべきだと思ったからです。
そんな声を聞いてか聞かないでか、招致委員会は復興五輪と銘打って招致成功に漕ぎ着けました。
しかし、これもウソでした。
復興五輪の片鱗はどこを探しても見つかりません。
事程左様にいかがわしいオリンピックは、即刻中止するべきです。
あの元ラグビー日本代表の平尾剛氏も、中止を声高に叫んでいますよ。

大切な家族や友人をコロナで失った人、身内の死に目にも会えなかった人(私も、今年1月に母親が他界しましたが、葬式に帰る事が出来ませんでした)、コロナで仕事を失い露頭に迷っている人、医療の現場でヘトヘトになっている医療従事者、入院したくても出来ずに自宅待機を強いられている人、緊急事態宣言で休業や廃業に追い込まれている人等々挙げたら切りがありませんが、今こうした人々が無数にいて、これらの人々の気持ちになれば、今オリンピックをやっている場合でしょうか。

オリンピックに懸ける金と情熱があったら、コロナ対策に集中しろと言いたいです。

真の登山家は、たとえ頂上が目の前に見えていたとしても、危険だと思えば無理をせず下山すると言います。
日本政府も、一刻も早くオリンピックを中止して、世界中の人々に、日本はコロナ収束の為に政府と国民が一丸となって異次元の戦いを始めるんだと宣言すべきです。

私は元々スポーツを見るのが大好きで、勝者であっても敗者であっても、その試合後の謙虚でさわやかなコメントを聞く度に涙が出る程感動するのですが、今回は、頑張っているアスリートに罪はありませんが、折角メダルを取っても心から喜ぶ気にはなれません。
それが、普通の国民の気持ちでしょう。
そんな環境下で、懸命に頑張っているアスリート達が本当に気の毒です。

繰り返しますが、日本政府はオリンピックを今すぐ中止して、コロナ収束に向けて医療資源と金を全力で投じるべきです。

オリンピック開催前から開催後の一連の動きの中で、一番気になっている事があります。オリンピック開催前、多くの国民が開催反対を意思表示していた時、IOCのコーツ氏やその他政府要人が、「国民は、今はオリンピック開催に反対していても、始まってしまえば、そして金メダルを幾つか取れば世論はガラッと変わって国民の多くが応援する様になる」と言っていました。
これ程国民を馬鹿にした話はありませんが、しかし残念ながらその予想は、オリンピックが開催されてしまった現在当たらずとも遠からずの状態です。
何が残念かと言って、これ程残念な事はありません。

日本の皆さん、政府は国民をナメ切っていますよ。

もっとも、今でも国際競技場周辺で「オリンピック反対」のデモをやっている人々は一定数いますし、マスコミの怒涛のオリンピック報道に反対の声が埋もれているだけなのかも知れませんが。
実際のところは分かりませんが、半数以上いたオリンピック反対の国民が、オリンピックが始まってしまった今、半数を切っている様でしたら本当に由々しき問題です。

政府はこれまで、モリカケ問題、桜を見る会問題、公文書書き換え問題、日本学術会議問題などで世論がどんなに政権批判で盛り上がっても、やがて時間が経てば静かになるとタカを括っています。
これでオリンピックもそうだとなれば、政府は益々国民の声に耳を貸さなくなります。

今の状況を戦争前夜に似ている、インパール作戦の再来だと例える人がいますが、全くその通りだと思います。
反対の声がやがてかき消され、大政翼賛会が出来て多くの国民が政府の言うなりになる。そしてその政府は、作戦が如何に間違っていても頑として認めず、国民を誤った方向に導いて行き、やがて世界の敗者となる。

そうならない為に、皆さん、声を上げようではありませんか。

 

ここからは余談ですが、タレント作家の室井佑月氏や作家の平野啓一郎氏、お笑いタレントのラ・サール石井氏など至極まともな意見を述べる人達がともすれば「左翼」とか言われて異端視されるのが、どうにも納得行きません。
そもそも、「左翼」とか「右翼」とかの呼び名がどうも実態に即していない様に思います。
「左翼」というのは、連合赤軍などの「極左」と一括にされて、「サヨ」とか「パヨク」「左巻き」とかの隠語と共に蔑称として使われる事が多いです。
一層のこと、「民主派と非民主派」「倫理観のある人と無い人」、「モラリストとインモラリスト」、「人間性のある人と無い人」、「政権を監視する人と提灯持ちをする人」などの呼び方に変えたらどうでしょうか?

 

 

 

2021年4月:「中村雄一」

 

 

初めまして。

私は日本で先生をしながらカンボジアを始め、アジア・アフリカの各国で授業を行なって

います。

約10年前初めて訪れたカンボジアで川広さんと出逢いました。

AKIRAのことは英語の授業で何度も登場していたので知ってはいましたが、現地で実際に目

にする地雷の恐ろしさ、それを取り除こうとする勇気ある人々の姿に胸を打たれました。

それから10年。

私は現在カンボジア、ネパール、ルワンダ、ウガンダ、コンゴ民主共和国といった国々で

授業を行いながら教育支援活動を行なっています。

カンボジアにも2019までは年に7、8回行っていました。

そんな中でAKIRAとも出逢い、日本に呼ぶこともできました。

このような縁で私も応援団に参加します。

カンボジアの地雷は世界でも有名で、私はルワンダの首都キガリにあるジェノサイドメモ

リアル(虐殺記念館)の一角に「世界のジェノサイド」という展示があり、その中にカン

ボジアを見つけた時は何とも言えない感情がこみ上げてきました。

カンボジアやボスニアなど、まだまだ地雷で苦しむ国がたくさんあります。

そういった国々を繋ぎ、世界の声を集め地雷を1つでも多く取り除き、そして「2度と地雷

を使わせない」ことが私たちの使命だと考えています。

是非、1人でも多くの人が私たちの考えに賛同し、共に世界の平和、1つも地雷のない

世界の実現へと歩んでいけたらと思います。

これからよろしくお願いします!

 

NPO法人なかよし学園プロジェクト代表

中村雄一

http://www.nakayoshigakuen.net/npo/index.html

 

 

 

2021年1月:「田辺美穂子」

 

 

全く、世界は大変なことになってしまいましたね。

コロナウィルスが出始めた頃は、まさかここまでの大ごとになるとは思ってもい

せんでした。

私が住む広島県も最近になってどんどん感染者が増え始め、どこで感染してもお

かしくない状況になっています。

県外への移動もままならない生活で、カンボジアなんてとても遠い場所になって

しまいました。

そのカンボジアも今は観光客を失い、本当に大変なようですね。

今、人は自分だけではなく自分の大切な存在を守る為にもまず自分を守らなけれ

ばならない状況で、たくさんのことを我慢し、諦めているのだけど。

私も犬の保護活動に携わり始めもうすぐ2年になりますが、今までの、犬を

「守る」よりも、さらに多くの意味での「守る」を課せられ、生活が大きく変わ

りました。

でも守るものが多ければ多いほど、その存在が大切であればあるほど、人は強く

なれるものですね。

老齢や病気のため自分でご飯を食べることができない犬の食事の介助をしなが

ら、身勝手な人間の犠牲になった命にこれ以上辛い思いはさせられないと改めて

思いを強くする日々です。小さな頭を撫で撫でしながら。

アキラさんも、可愛い奥さんとの間の新しい生命に恵まれ、更に幸せな日々を…

となっていたところなのに、こんな世の中に突入してしまい、どんなに大変な思

いをされていることか。

アキラさん自身の家族だけでなく、CSHDというもう一つの大切な家族、

その活動、アキラさんの存在そのものである地雷博物館の存続。

アキラさんという存在とCSHDの活動は誰がなんと言おうともカンボジアの宝で

あると私は信じています。

どうかこのとても大切なものが守られますように。

いつかまた、あの生命力とエネルギーに溢れ、キラキラと眩しいカンボジアに

行きたいなぁ。

仏の笑顔のアキラさんの、逞しく元気な姿を次に見れる日はいつ頃なのかなぁ、

なんて夢を見つつ、

みなさん、もう少し、踏ん張りましょうね!

 

2020年9月:「古白川 真」

こんにちは。ご無沙汰しております。
FORKS FOR FOLKSAndkow & Co.(Shippos Co., Ltd.)代表の古白川(コシラカワ)と申します。

現在世界中で猛威を振るう新型コロナウィルスことcovid-19ですが、カンボジアも例外ではなく、死者や感染者こそ少ないものの経済的なダメージが甚大な影響を及ぼしています。

特に観光業のダメージは計り知れません。
街中にFOR RENT(空き物件)の看板が溢れかえり、その数は日に日に増えています。

国民人口そのものも少なく、中間所得層も近隣諸国に比べて少ないため内需に乏しいカンボジア。

入国が制限されてからというもの、世界中からの観光客が途絶え、旅行会社やホテルなどの宿泊施設、飲食店やお土産店、マッサージ店など、外貨獲得の要である観光業の多くが壊滅状態となり、倒産に追い込まれています。

観光客の消えた街一番の繁華街パブストリート

これに関しては地雷博物館も例外ではありません。

先日久しぶりにアキラ氏と連絡を取り、今現在何が必要か?という話をしました。

私が行なっているプロジェクトFORKS FOR FOLKSから、来年はアキラ氏の所属する地雷撤去団体CSHDが仕事の際に使用するユニフォーム代の寄付を検討しており、その旨をアキラ氏に相談したところ、現在は観光客がいないため地雷博物館が運営の危機に立たされている、CSHDよりも地雷博物館に寄付をして欲しい、とのことでした。

私のプロジェクトからも各関係者と相談の上、時期を見て地雷博物館への寄付をさせて頂こうと考えています。

もしこちらをご覧のみなさまも、アキラ氏および地雷博物館、それに関わる方達にご協力頂ければ幸いです。

どうぞよろしくお願い申し上げます。