投稿者「森山 真祐子」のアーカイブ

2016年11月:「桑原さおり」

こんにちは。

呼びかけ人の、桑原さおりです。

11月になりましたね!

雨季も終わり、乾季になります。

日本の秋から冬に変わるように、いつも暑いカンボジアも涼しくなり過ごしやすい時期になります。

先日10月31日は、ここでもハロウィーンが盛り上がりました!

私が住んでいる、アンコールワットのある町シェムリアップは、外国人がたくさん訪れます。

外国人たちが集まるエリアを中心に、たくさんのカンボジア人たちも集まり、仮装を楽しみます。

カンボジア人たちの仮装は、恐ろしいお化け(ゾンビ)が多く、パーティで派手なメイクをするカンボジア人たちのゾンビメイクはとてもクオリティが高く、見ていて素晴らしく思います。

さて、先日youtubeで、「combodia1965」というカンボジア内戦前の映像を見ました。

日本でいうと、1964年に東京オリンピックが開催されたその翌年になります。

農業もさることながら、工業化もされていました。

製紙工場、繊維工場、自転車工場などがあります。

町の景色も、整然としていてとても美しい。

カンボジアから想像するものと違うかもしれません。

カンボジア人の日本語ガイドに、内戦前のことを聞きました。

「内戦前のカンボジアには、何でもありました。それを考えると涙が出てきます。」と言っていました。

内戦時代、どれほどの破壊をしたのでしょう。

活字や写真で調べるのもいいですが、映像でも見るのもおすすめいたします。

主要の町の様子       シェムリアップはANGKOR と表示されています。                                    空港も今と違います。アンコールワット前の道もきれいです。

工業の様子

2016年9月:「鬼一二三」

今年の元日、新しい地雷博物館に初めて行きました。

教え子達とアンコールワットで初日の出を拝み、初詣をした後、シェムリアップで一番美味しいカンボジア風素麺(ノム バンチョック)を食べにプレアダっと言う村に行こうと言う話になり、朝食後、その村の先にある地雷博物館にも勉強に行こうと言う事になったのです。

私は、アンコールワットの手前に有った旧地雷博物館には何度も行った事があるのですが、バンテアイスレイ遺跡へ向かう途中の現在の博物館になってからは一度も行く機会が無かったのです。

教え子達と行けて、お互いに良い勉強になりました。

随分混んでいて、盛況でしたので、移転して良かったわ、と思いました。

教え子達は、内戦を知らない世代です。

ただひたすら「可哀想です」と言って展示物を見ておりました。

初詣のお蔭で今年はご縁があったのでしょうか。

月にはある方に「是非アキラ君との再会と会談を撮影させて欲しい」とのご依頼を頂き、本当に久々に彼に会う事が出来ました。

すっかり大人になったアキラ君、3人の子供達に囲まれ、とても幸せそうに見えました。

私がボランティアで日本語を教えている「国際日本文化学園」では、日本語だけではなく日本文化も紹介しており、空手道と柔道の教室も開講しております。

子供達は日本の武道に興味があるそうなので、近いうちにアキラ君の子供達が日本語と武道を習いに来るかもしれません。

親子の学習の手助けが出来るなんて私はなんて幸せなのでしょうか。

地道に頑張っていれば、きっと幸せをつかむ事が出来る事を信じ、これからも奉仕活動を続けて行きたいと思います。

アキラ君にも益々幸せになって欲しいと願っております。

 

日本とカンボジアの交流の場 いろはにほへと.com
東京都認証 特定非営利活動法人 アンコールワット日本文化交流会 [NPO法人 KH(クメール)] http://www.npokh.org
カンボジア王国 シェムリアップ州  国際日本文化学園 [一二三日本語教室&123図書館&櫻空塾空手道場] http://www.ijci.net
代表 鬼 一二三
Tel : +855(012)821977

2016年6月:「川広肇」

呼び掛け人の赤澤さんが現在病気療養中の為、本来4月が赤澤さん、6月が田辺さんだったのですが、順番を変えて4月に田辺さん、今回私が担当させて頂きます。

 

さて今回のメッセージでは、2年ぶりに博物館のガイドに復帰しましたのでその辺りの事を書くつもりでいたのですが、先頃とんでもない話を耳にしましたので、急遽内容を変更してそのとんでもない話について書かせて頂きます。

そのとんでもない話とは、私のことを「反日」と呼んだ人が居た事です。

 

5月のある日、用事で、あるゲストハウスのレストランを訪問した際、たまたまその日に博物館に来て下さったお客様がいらっしゃたので挨拶したのですが、そこに同席していた初対面の男性から、「1年位前に博物館には、反日の70代の男が居たらしいなあ」と言われたのです。

最初は何の事だかさっぱり分かりませんでしたが、よくよく聞いているとどうも私の事を言っているようです。

1年前でも無いし、70代でも無いのですが。

それが分かったのは、こんな事からでした。

 

2014年の2月に私が帰国した後、田辺美穂子さんが5ヶ月間ガイドをしてくれたのですが、その後A君という若者が7月、8月と2ヶ月間ガイドを引き受けてくれました。

しかし、そのA君が来館者に対して「地雷は優しい兵器」との説明をしている事が他のお客様からの連絡で分かり、それはアキラ氏や我々の考えである「地雷は悪魔の兵器」とは真逆の考えだとの理由で本人に確認し、認めたので辞めて貰ったのです。

A君は自衛隊OBであり、思想的には確かに私とは随分違っていましたが、「戦争反対」という点だけは一致したので、それで彼にガイドを引き受けて貰いました。

戦争の悲惨さをお客様に訴えて貰いたいと。

しかし、その願い虚しく、「地雷は優しい兵器」とのとんでもない言葉を残して、彼は去って行ったという訳です。

そして、先程の初対面の男性は、この人も自衛隊OBと言う事でA君と馬が合ったのでしょうが、A君から色々話を聞く中で、「A君を辞めさせた70代の男は、A君の右翼的思想が気に入らなくて辞めさせたんだ、その男は反日だ。」となった様です。

ハナ肇調に言うと、「何でそうなるの?ゲバゲバ」との思いですが、そんな事言ったって、今の若い人は誰も分からないわなあ。

まあ、それは兎も角、この男性に「反日とはどう意味でおっしゃっているのですか?」と聞いた所、彼が言うには「日本を貶める、日本を非難する事を言う人間のことだ」と言われました。

私は確かに今の政権、今の政治状況は嫌いですので、それに対して非難はしますが、日本そのものを非難したことは一度も有りません。

寧ろ、自分が生まれた国である日本が大好きで、だからこそこうして海外で活動して、日本の評判を少しでも高めたいと願っているのです。

日本が好きだからこそ、今の悪い政治状況を一刻も早く良い方向に変えたいと願っているのです。

日本人で「反日」の人なんて、恐らく一人も居ないと思います。

「反日」を叫ぶ人達は、政権を擁護する人達です。そして、それに敵対する人、政権打倒を訴える人に対してこの言葉を投げ掛けます。

戦前、戦争反対を訴える人に対して使った「非国民」とか「売国奴」と言った言葉と同じです。

政権非難に対する言論封殺として、この様な言葉を使いたがります。

 

私は、この「反日」という言葉が大嫌いですが、これと同じ脈絡で使われるものがもう一つ有ります。それは「自虐史観」という言葉です。

 

「自虐史観」も「反日」を叫ぶ人達がよく使う言葉です。

戦争中に日本軍がとった行為を真摯に反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないと願う事が、日本を貶める事になるのでしょうか。

「侵略戦争」「南京事件」「慰安婦問題」等々。

日本は戦争において、被害国であると同時に加害国でもあるのです。

残酷極まりない戦争の中で、日本軍だけが高潔な紳士だったなんて有り得ません。

残虐な行為も当然行っているのです。それが戦争であり、自分が生きる為には相手を殺さなければならないし、食う為には略奪も止むを得なかったのです。

その事実を暴き出す事は、兵士を冒涜する事にはなりません。極限状態で、生きる為に仕方無しにやった事なのですから。

だからこそ、その様な悲惨な戦争、人間が人間で無くなる戦争は二度と起こしてはならないのです。

そうした事実を無かった事にしようとする連中が、この「自虐史観」という言葉を使いたがります。

「自虐史観」という言葉を使って、日本軍の行った戦争犯罪と真面目に向き合い、自分はその様な戦争犯罪にこの先絶対に加担したくないと願う人々の言論封殺を図ります。

こんな事をしていたら、日本人というのは、過去を反省しない民族なのかと世界に思われてしまいます。

こういう言葉を使って言論封殺する人こそ、日本を貶めていると気付かないのでしょうか。

 

ドイツの元大統領・ヴァイツゼッカーの有名な言葉があります。

「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」

 

「反日」「自虐史観」といった言葉を使って、それを非難する人達の言論封殺を図ろうとする連中には、是非この言葉を噛み締めて貰いたいと思います。

 

2016年4月:「田辺美穂子」

先日、突然友人から「アキラさん、今テレビに出てるよ。」とのメールが届きました。

そう。2月のメッセージで田子真由美さんが書いていらっしゃる「世界まる見え!テレビ特捜部~神業スペシャル」のことです。

残念ながら私はその時まだ帰宅しておらず、リアルタイムで番組を見ることはできなかったのですが、その後You Tubeで検索して無事アキラさんの姿を見ることができました。

田子さんも書かれているとおり、事実とは少し異なる部分…、例えば、地雷撤去方法。             現在のカンボジアでは素手での地雷撤去は法律で禁止されているため、アキラさんも今は昔のような素手ではなく、法律通りに器具を使用して作業しているのにも関わらず、今でも素手で地雷撤去をしているように紹介されたり、などということもありましたが、まぁそれは番組の趣旨が神の手を持つ人物特集、『「神業」スペシャル』 とのことなので、そこはいた仕方ないとして、でも撤去方法はどうあれアキラさんの昔から変わらない一貫した強い思いは確実に視聴者の方々には伝わったらしく、テレビ放映後、この「アキラ地雷博物館 日本人応援団」にもたくさんの方から問い合わせをいただいたと聞いております。

改めて、テレビの力とは大きいですね。本当にありがたいことです。

 

インタビューの画像でアキラさんが木に登り、枝に座った状態でいろいろな話をしているシーンがありましたが、以前、「ジャングルが大好き。森の中に入るとホッとする。」と、言っていたアキラさんらしいアングルだなぁ、となんだか微笑ましく見てしまいました。

普通はインタビューって椅子に座るか、地面に立ってするものですよね?

木の上…って…木に触れてると落ち着くのかなぁ。

私も大きな木が大好きだから、すごーくわかるぅ。なんて嬉しく思ったりして。

 

昨年6月の「今月のメッセージ」でも書かせていただきましたが、私は以前は中国の沙漠に木を植える砂漠緑化活動、 最近では森林破壊が続くボルネオで森林再生活動や、動物保全活動のお手伝いをしています。

http://lazymihoko.blog.fc2.com/

 

地雷という悪魔の兵器から人々を守り救うために命を懸けて地雷撤去活動を続けているアキラさん。

「人」と「植物」と「動物」がみんな共存して生きることが、地球を守ることにつながる。地球はどれか一つの為のモノではないし、どれかひとつでも欠けてはいけないということ。

幼いころから森の中で生活してきたアキラさんはきっとそのことを意識的にではなく、感覚的に知っているような気がしてならないのです。

「人」を助け守り、「動物」を愛し、「森」の中で癒され寛いだ表情を見せるアキラさんは、「地球」に生きる人間として、やっぱりずっと私の憧れの的なのでした。

ああ、そういえばアキラさん、本のインタビューで「あなたの職業は?」との質問に、「人。」って答えていましたっけね。

人間としてあるべき姿を、いつも教えてくれるステキ・アキラさん。これからもずっと応援しています!!

2016年2月:「田子真弓」

こんにちは!日本では寒い日が続いていますね。
カンボジアはちょうど乾季まっただ中、観光シーズン!
地雷博物館にもたくさんの方が足を運んでくれているといいな!

先日、1月18日の「世界まる見え!テレビ特捜部~神ワザスペシャル~」、
みなさんご覧になられましたか?
「勇気と集中力!素手で地雷除去を行う危険な男」としてAkiRaさんが
取り上げられていましたね。
(見逃した!という方は、You Tubeでご覧ください。
世界まる見え!テレビ特捜部、1月18日、の検索で見られます。)

その特集では、AkiRaさんが少年兵になった頃のことから、その歴史背景、
地雷撤去の様子、チェットのことも紹介されていました。
私が初めて地雷博物館を訪れた時、お土産売り場の横で、島田紳助さんの番組で
AkiRaさんが紹介されたVTRを流していたことを思い出しました。
今見ると、あの時の紳助さんの特集も、今回の丸見えも、番組として
真実ばかりでなく脚色も入っているのがわかりますが、
当時の地雷やカンボジアの歴史についてよく知らなかった私にとっては
衝撃で、いろんなものを見る目が変わったように思います。
AkiRaさん、地雷などのテーマに興味を持つきっかけになったといっても
過言ではないと思います。

番組を見て、以前の私と同じように地雷やカンボジアについてあまり知らない
方たちが、関心を持ってくださったり、カンボジアや地雷博物館に足を運んでくださると
いいなぁと思いました。

AkiRaさんの特集の最後に、カンボジアの紹介員?みたいな人が、
「実は日本にも地雷撤去やAkiRaさんの活動を支援している団体がいるんですよ~!」
と言っていて、ドキッ!もしかして講演の様子や、日本人応援団のこと、他の支援団体の
方たちが紹介されるのかな?と思いましたが…。
むむむ~なぜか、それだけの一言で終わってしまいました。
そういうところで、日本人応援団のことや、支援する方法、活動の様子が紹介されるように
なるといいですね!私達ももうひと頑張り!というところでしょうかネ。

明日からもがんばりましょう!!!!
(私は現在3人目妊娠中。春の出産、がんばりまっす!)

2015年10月:「鬼一二三」

呼びかけ人の鬼一二三で御座います。私はシェムリアップで20年に亘り日本語教室を開いておりますが、アキラ君は開校初期の教え子です。                                  皆様は「密林少年 1,2 」(ヤングジャンプコミックス) をお読みになった事がありますか。アキラ君の事が誰にでも分かりやすく描かれております。                                            「アキラの地雷博物館とこどもたち」(三省堂)は、三省堂の編集者の方にお会いして、出版前に若干のお手伝いをさせて頂きました。中学生以上なら読めるよう、易しく書かれております。是非ご一読下さい。

私は「カンボジア日本語ガイドの基礎知識100」(一二三日本語教室)と言う本を出版致しました。日本語学習者が日本語ガイドになる為に必要な最低限の知識を100課に分けてまとめた物です。                                      その本の中の「歴史」の単元に「地雷」と言う課が御座います。アキラ君に聞いた話を元にして本文と致しましたので、こちらにご紹介させて頂きます。なお、一般の書店には御座いませんので、拙著をご希望の方は私宛にご連絡下さいませ。onihifumi@hotmail.com

第45課 地雷                                                                        地雷には人間を狙った対人地雷や、戦車を狙った対戦車地雷など、色々な物があります。カンボジアには内戦時代のスポンサーだった世界の国々で作られた数多くの種類の地雷が埋められています。  内戦時代に埋められた地雷が今でも眠っている地域は地雷原と呼ばれています。内戦時代にカンボジアではどうして地雷が大量に使用されたのでしょうか。  地雷は安くて便利で扱いやすい武器・兵器です。森の中でも持って行けるし、訓練をあまり受けなくても、誰にでも簡単に仕掛けることができます。大量の鉄も要りません。写真のフィルムケースのような容器があればすぐ作ることができます。それでたくさん埋められてしまったのです。  地雷の撤去・処理はカンボジアでは金属探知機を使って、1つ1つ手作業で行われています。1個300円の地雷を除去するのに1万円から10万円もかかります。  ここにある物は皆、安全処理をして火薬が取り除いてありますから、触っても大丈夫です。  地雷の除去は国際的な地雷処理団体の協力によってどんどん行われています。  今日皆さんをご案内する観光地には地雷はまったく残っていませんので、どうぞご安心下さい。

 

日本とカンボジアの交流の場 いろはにほへと.com/info/ 

東京都認証 特定非営利活動法人 アンコールワット日本文化交流会 [NPO法人 KH(クメール)] http://www.npokh.org

カンボジア王国 シェムリアップ州  国際日本文化学園 [一二三日本語教室&123図書館&櫻空塾空手道場] http://www.ijci.net

代表 鬼 一二三

Tel : +855(012)821977

E-mail : onihifumi@hotmail.com

 

2015年6月:「田辺美穂子」

昨年2月から6月までの4ヶ月間、「アキラ地雷博物館」で日本語ガイドをさせていただいてから、早いもので1年が経ちました。

その間の数々の貴重な体験は現在も変わらず私の宝物になっています。

昨年6月にカンボジアを出てからは、かねてより参加していた中国の沙漠緑化活動の現場に短期で戻ったりもしつつ、つい先日、ここ6年通い続けているボルネオから帰国いたしました。

今までは中央カリマンタンで森林再生のお手伝いをさせていただいていましたが、今回は東カリマンタンで念願のオランウータンの保護活動のお手伝いです。

現在、カリマンタンではパームオイル(油ヤシ)のプランテーション等による森林伐採が進み、棲み処を追われたオランウータンが食べ物を求めてプランテーションの中に迷い込み、労働者によって殺されてしまう事件が多発しています。

母親を殺された赤ちゃんは異国に密輸され、時には虐待を受けたり、違法にペットとして飼われたりして本来あるべき野生の姿を奪われているのです。

木で作られた、身動きも満足にできない小さな箱のような小屋に入れられ、隙間から目だけを覗かせて寂しそうに外を窺っている姿は居たたまれない気持ちでいっぱいになります。

そういった動物達を救出して野生に戻る訓練をし、いつか森に還す活動をしている団体のキャンプにお邪魔していたのですが、森の中に小屋を建て、そこで食事を摂り、水浴びをし、眠る生活。

インドネシアという暑い国で、そこだけはひんやりと涼しく、朝は鳥と猿の鳴き声で目覚め、夜は虫の鳴き声を聞きながら眠りにつく毎日。

森林伐採、環境破壊が進むボルネオ島で、その森は確かにたくさんの命を育み、生き続けていました。

24時間の電気も無く、水道もなく、テレビも何も無い森の中での生活は、それでも確かに「守られている安心感」に包まれた、かけがえのない幸せな時間でした。

「森は全ての命のお母さん」   以前、インドネシアの友達が私に言った言葉です。

さて、アキラさんも実はジャングルが大好き。

子供の頃からずっとジャングルで生活していた為、ジャングルに戻ると凄く生き生きとした表情になるのですよ。

もちろん、内戦中の辛い体験は今でもアキラさんの心に大きな傷となって残っていますが。

当時、心が壊れてしまう程の恐ろしい日々を送っていたアキラさん達少年兵を、森は時にきっと例えようのない大きな愛情で包み込んでいたに違いないと思います。

政治の腐敗が進むカンボジアでも、森林伐採、環境破壊は進んでいます。

無くした物の代償の大きさは、無くしてから気付いても遅い。  政治の腐敗は環境を壊し、それはあらゆる命の滅亡に繋がります。

アキラさんは現在地雷撤去だけでなく、政治の改革にも身を投じ、カンボジアという国が少しでも良い国になるよう、文字通り命懸けで頑張っています。

少年時代をジャングルの中で生活し、少年兵として戦い続ける日々を送ったアキラさんは、内戦が終わった現在は、残された地雷、そしてカンボジアという美しい国を私欲に溺れて壊し続ける見えない敵と戦っています。

アキラさんの目は常に未来に向かっているのでしょう。その目はいつか必ず地球をも救える力を持っているはず。ああ、アキラさんにまた会いたくなってきちゃった。

アキラさんとは、こんな素晴らしい人です。   さあ皆さん、どうぞ、どしどしカンボジアに、「アキラ地雷博物館」にお出でくださいまし。

2012年7月:「川広肇」

まずトップバッターは私・川広肇です。
今後は1ヶ月交代で順番に、呼びかけ人になって頂いた方からコメントを頂戴致します。

今回この『アキラ地雷博物館・日本人応援団』を設立しましたのは、サイト開設趣旨でも書きました通り、長期に渡る内戦で国土が疲弊し、発展が大きく遅れたカンボジアの地で、地雷撤去活動と地雷博物館の運営、恵まれない子ども達の養育に力を尽くす、元少年兵の若きカンボジア人・アキラ氏を日本人パワーを結集して金銭面で支援する為です。
このカンボジアには、まだ500万個の地雷が埋まっていると言われています。
アキラさんが立ち上げたNGO「CSHD」を始め、政府系の地雷撤去団体「CMAC」、それにイギリスのNGO「HALO TRUST」「MAG」そして日本のNGO「JMAS」等が撤去活動を続けていますが、すべての地雷を撤去するにはまだ相当の年数が掛かるでしょう。アキラさんはあと10年でこの国から地雷を無くしたいと考えていますが、恐らくそれは不可能でしょう。でもその悲願を少しでも手助けする事が出来るとすれば、それはデマイナー(地雷撤去人)の人数を増やす事です。それにはお金が必要です。今アメリカ人・ビルさんの作った「The Landmine Relief Fund」に世界中から募金が集まりアキラさんの活動を支えていますが、まだまだ資金を必要としています。
戦後66年が経過し平和な国である筈の日本も、油断するといつ平和が脅かされる事態が忍び寄ってくるか知れません。平和を維持する為には絶えず心配りが必要です。そうした事を考えるきっかけとしても、このアキラさんへの支援に力を貸して頂きたいのです。
それに、資金が増えれば今育てている「リリーフセンター」(博物館内孤児院)の30数人の子どもたちに加えて、更に多くの子どもたちの面倒を看る事が出来ます。
この国でも小中学校は義務教育ですが、まだまだ貧しくて学校に行けない子どもたちが大勢います。「リリーフセンター」では、始めは地雷被害の子と戦争孤児の子だけを育てていましたが、今はそうした子に加えて生まれつき障害のある子、子供の時小児マヒに罹って手足が不自由な子、HIVの子、家が余りに貧しい子等を預かり、外部の学校に通わせ、更には館内の教室でスタッフやボランティアの先生が英語や国語、数学、パソコン、美術を教え、子どもたちが将来自活出来る様教育を授けています。みんなそれぞれにハンディを背負っていますが、どの子もみんな明るく夢を持って生きています。
資金があれば、もっと多くの子どもたちを「リリーフセンター」に迎え入れる事が出来ます。
どうか日本の皆さん、このアキラさんの活動に手を差し伸べて下さい。
このホームページのメニューの中から「支援する」をクリックして頂き、「応援団員になる」を御覧頂いて団員登録して頂き、私が設立しました「アキラ地雷博物館応援基金」に、月にして1000円(法人は5000円)をカンパして下さい。
そうする事で我々日本人もアキラさんを、ひいてはカンボジアと言う国に対する民間レベルに於ける支援をしっかり行っているんだと言う事を、世界に向けてアピールしようではありませんか。
実はこちらに来るまでは私も知りませんでしたが、第二次世界大戦直後の日本が大変な食糧難に喘いでいた時、ここカンボジアから無償でお米が提供されたそうです。
また去年の東日本大震災の時には、決して裕福でない人達が財布の中からお金を出し合って、日本に対し支援をしてくれました。
こうした恩に報いる為にも、我々日本人も力を結集しようではありませんか。
これまでも多くの日本人の先輩達が、アキラさんに対する支援を行って来ていました。しかしそれは個別バラバラであり、単発的であった為余り表に出ていませんでした。
日本人の奥ゆかしさは勿論美徳ですが、国際社会に有っては時にマイナスとなります。
折角のそうした支援をより大きく且つ継続的なものにする事で表に出し、日本人の軍事に拠らない民間レベルでの国際貢献度を、世界に知らしめようではありませんか。
皆様方の御協力を、心よりお待ちしています。
2012年7月
「アキラ地雷博物館・日本人応援団」
代表  川広 肇

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鬼 一二三

1999年6月「先生、僕の夢だった地雷博物館が出来たから見に来て下さい。」と連絡が有り、教え子と共に見学に行った時の写真です。

鬼 一二三 (おに・ひふみ)
東京オリンピックの年に東京都杉並区に生まれる。
東京都立立川短期大学(現:首都大学東京)家政学科卒業後、富士通株式会社に6年間勤務。
退職後、ケニア共和国首都ナイロビに4年間在住。
1992年、玉川大学文学部教育学科(現:通信教育部教育学部教育学科)編入、2010年卒業。
95年、シェムリアップ州で「一二三日本語教室」「123図書館」を始め、3年後『この人』(日本経済新聞)に掲載される。
99年、インターカルト日本語学校『日本語教員養成講座』(420時間相当・通信コース)修了。
2001年「一二三日本語教室」「123図書館」が秋篠宮殿下同妃殿下のご訪問を受け『皇室日記』(日本テレビ)にて放映される。 続きを読む