2022年5月:「桑原さおり」

 

 

皆さんこんにちは。

シェムリアップを起点に旅行者向けのフリーペーパーの制作・編集。

スタディツアーの現地アテンドをしています。

在住12年目になります。

 

2020年3月頃からコロナで旅行者の規制がかかり、丸2年がたちました。

シェムリアップは世界遺産のアンコールワットがあり、世界中から観光客が訪れるので主に観光業の町です。

コロナにより、観光客向けの多くのホテル、伝統舞踊ショー、飲食店が淘汰されていきました。

 

そこには多くのカンボジア人の観光ガイドもいました。

各国の言語をたくみに使い、遺跡の魅力を存分に伝えてくれます。

シェムリアップの人々の憧れの仕事であり、その知性・ホスピタリティはシェムリアップの宝物のような存在です。

大勢のガイドが仕事を失い、農村での作業や、ドライバー、屋台を始めたりしていますが、習得した言語は使わないと忘れてしまうので、その才能が活かされないことに対してもったいない気持ちになります。

 

とはいえコロナ前までは、観光業依存の町でいつも観光客の動向を伺い一喜一憂していました。

アンコールワットを含む多くの遺跡もそうですが、町中に観光客がひしめきあい、観光客中心。カンボジア人は常にその脇にいる印象でした。

コロナで海外からの観光客がいなくなった今は、世界遺産も町中の多くのレストランも、カンボジア人が利用するカンボジア人が主役の町になっています。

またコロナ禍で観光者がいない期間中に、それこそ観光者がいたら困難を極めるような、大掛かりな道路工事を促進し、町全体が美しく見違えるようになっています。

 

在住者の私たちも、各々の生活において決断をしていきました。
多くの在住者が日本に帰ったり、プノンペンに仕事を求め居住を移しました。
私自身はコロナ前の仕事は全てストップしていますが、帰国を選ばずこちらで生活しています。

 

そんな私のところには、「仕事がない、仕事が欲しい」と毎日のようにカンボジア人から連絡が来ましたが、また同時に「食べ物はあるか?米ならあるから欲しいか?」という連絡も来ていました。

大家さんも私に仕事がないのを察して、毎日のように食事を届けてくれました。

 

この先どうなるかわかりませんが、徐々に規制も緩くなり、欧米人を中心に観光客が戻ってきています。

コロナ前までは、シェムリアップの町のスピードは加速するばかり。

町中に観光客が溢れ、トゥクトゥクや車やバイクの往来が激しく町全体が毎日お祭りのようでした。

一度コロナでスローダウンして落ち着いた今、自分自身がまたあのスピードに戻ったら付いていけるかが心配です。

 

このコロナ禍で、あらためて静かでのどかなシェムリアップの町の居心地の良さや、カンボジア人の暖かさ優しさ強さ逞しさを感じました。

 

これからこの町がまたどう変わっていくのか、その景色の中で過ごせることに感謝しています。

 

アキラ地雷博物館×日本人応援団の団員にご登録ください。