「アキラ地雷博物館」で長年日本語ガイドをされた川広氏に代わり、短期間ではありますが日本語ガイドをさせていただくことになりました田辺美穂子です。
私が11年前に初めてカンボジアを訪れた際立ち寄った「アキラ地雷博物館」で受けた衝撃は、いまだ色あせることはありません。当時の博物館は二代目である現在の建物よりもずっと小さく、展示物も今ほど多くはありませんでしたが、アキラさんの少年兵時代の半生を綴った挿絵入りの紙(博物館で市販されている「My story」から抜粋されたもの)が壁にたくさん貼ってあり、それらを読み終えた時、私はアキラさんの姿を探しまわっていました。
物心ついた頃から死と隣合わせの生活を強いられ、たくさんの大切な人の死を見つめ続け、常に「死」を意識しなければならなかった過酷なその戦争を生き抜いた奇跡の少年兵は、どんな大人になっているのだろう。
残念ながら、その時アキラさんは地雷撤去作業に出ていた為会うことはできませんでしたが、諦めきれず翌年再度シェムリアップを訪れた時、当時1歳だった長男のアマタ君を抱きしめ、来館者である私に向けられたアキラさんのその笑顔を見た瞬間、思わず涙が零れ落ちたのを私は一生忘れません。
心が壊れても不思議ではないくらいの環境の中を人生の一番大切な時代を生き続けた人が、こんな優しい顔をしているなんて。 ああこの人は、神様に生かされた人なんだなぁ。今のこの人のこの活動は、この人にしかできないことを、神様はちゃんとわかっていて今でもずっとこの人を守り続けているんだなぁ。と、涙の中でじんわりと思いました。
その後、私は環境活動を始め、一年のうち数か月は日本を離れる生活をしていますが、そのきっかけがアキラさんであることは間違いありません。
自分にとって今一番大切なものが何なのか、そしてそれを何が何でも守っていくということ。そのことを私は「アキラ地雷博物館」とアキラさんのあの笑顔から教わりました。
そう、アキラさんは私の「人生の師」なのです。
あれから10年経ち、ある偶然から「アキラ地雷博物館」のボランティアガイドのお話をいただきました。半年という短期間ですがその中でもアキラさんの活動の大切さ、アキラさんという素晴らしすぎるその存在を少しでも多くの方に知っていただき、ご賛同いただければ。少しでもアキラさんの活動のお手伝いになることができれば、と思っております。
まだまだ勉強不足で、川広氏のようなエキスパートなガイドはできませんが、私の不慣れなガイドは別として「アキラ地雷博物館」を訪れ、アキラさんの活動を知るだけでもたくさんの大切なものを感じていただけると思います。一人でも多くの方に博物館にお越しいただけるよう、心よりお待ちしております。