御報告が大変遅くなってしまいましたが、10月24日から11月4日までの「アキラ氏日本講演会」は大盛況の内に無事終える事が出来ました。
10月22日の夜、アキラ氏、アラ、川広の3名でカンボジア・シェムリアップ空港を中国東方航空機で出発し、上海でのトランジットを経て、23日の午後、大阪・関西国際空港に到着しました。
小雨の降る中リムジンバスで京都に向かい、京都で引き受け団体の京都外国語大学国際教養学科のクレイグ・スミス教授と学生達の出迎えを受け、京都市中京区の烏丸御池駅近くの宿泊先「ハートンホテル京都」に入りました。
最初の講演会は、
10/24(木)の午前中に、京都外国語大学において、大学関係者、一般客約300名を前にしての講演でした。
私の方からまずアキラ氏、アラの紹介をし、先にアラが爆弾被害で右腕を失ってからの人生とアキラ氏との出会い、そして将来の夢についてまとめた文章を日本語で朗読し、その後アキラ氏が、自分の生い立ち、苦難の少年兵時代、現在の地雷撤去活動の様子などについて、英語と日本語を交えて講演しました。
昼食時には、学長、副学長から歓待の挨拶があり、京都新聞の取材を受け、そして学生による英語落語や能、習字の披露が有り、楽しませて貰いました。
午後からは教室を移動して、1時間半に渡って40人位の学生との質疑応答が行われましたが、質問者が途切れる事無く、終了予定時刻を過ぎてもまだ質問予定者が残っている程熱気に溢れたものでした。
また講演の後、アキラ氏は体調が優れない為部屋で休んでいましたが、アラと私は学生達に金閣寺に案内して貰いました。
全体を通じて、クレイグ・スミス教授御夫妻、並びに学生達に大変暖かいもてなしてを受けました。
翌25日(金)には新幹線で大阪に移動し、引き受け団体の関西大学「カンボジアNGO協働プロジェクトJ-Caja」のメンバーの学生や担当の久保田賢一教授との打ち合わせ後、13時から関西大学千里キャンパスにて、1時間半に渡って約50名の学生を前に講演を行いました。
対象者は英語を勉強している学生の為、ここではアキラ氏は全編英語で講演を行いました。プロジェクターを使って、「2010年度 CNN HERO TOP 10」受賞のビデオや地雷撤去活動中のビデオも観て貰いました。
大阪での宿泊先は、アキラ氏とアラがFiLCハウス、私が久保田教授の御自宅でした。
そして翌26日(土)には15時から18時まで、高槻市に在る関大ミューズキャンパスにてゲーム、クイズを交えてのトークセッション、グループ討論とアキラ氏による講演が行われ、学生、一般客約40名が参加しました。そしてその後会場を、カンボジア料理店「すろまい」に移し、懇親会が行われ、30名以上のお客様が店内を埋め尽くしました。
ここ大阪でも、久保田教授御夫妻を始め、大勢の学生達に大変な歓待を受け、また講演会の成功に向けて多大なる努力をして頂きました。
27日(日)には台風一過の快晴の中、新幹線で岡山に移動し、「アキラ氏岡山講演会」実行委員長の小坂隆行氏の出迎えを受け、宿泊先の「ホテル・アネックス」に荷物を預けた後、講演会場の「岡山県立図書館」に入りました。
そして14時から16時まで2時間に渡り、約140名のお客様を前に、講演会を実施致しました。
そして17時からは会場を「メル・パルク」に移し、30名以上のお客様と懇親会を行いました。
岡山は私の地元ですが、引き受け団体が見つからなかった為、私の友人の小坂隆行氏、居郷毅氏、後藤信三氏、小山一好氏の4名で実行委員会を結成し、今回の講演会を成功に導いてくれました。感謝に堪えません。
講演会の翌日の28日(月)から1泊2日で、アキラ氏は倉敷の「川崎医科大学付属病院」の人間ドック科を受診致しました。
かねてより呼吸器系の具合が悪かった為、今回の日本行きの目的の一つとして、当初からこの人間ドック受診を計画に入れていました。
医師から色々アドバイスを受け29日(火)に退院後、アキラ氏とアラは、小坂氏によって瀬戸大橋観光に連れて行って貰いました。
そして翌30日(水)には「山陽放送」、「山陽新聞社」を表敬訪問し、また日本三名園の一つ「後楽園」を散策し、午後の新幹線で東京に移動しました。
東京到着後、宿泊先の「サクラホテル池袋」に向かい、そこで引き受け団体である「学生国際協力団体Michiiii」のメンバーの学生と打ち合わせを行いました。
そして翌31日(木)の昼には、「週刊大衆」を発行している「双葉社」の佐野さん他2名の来訪を受け、取材を受けました。
佐野さんは今年の5月1日にプライベートで博物館に来て下さり、その時「アキラ氏講演会」の話しをしたところ、東京に来た時には是非連絡して欲しいと言うことでしたので、メールをお送りしたところ、この日の取材となった訳です。
その後14時頃ホテルを出発し、電車を乗り継いでこの日の講演会場である王子駅近くの「北とぴあ飛鳥ホール」に入りました。
そして「Michiiii」のメンバーの学生達と打ち合わせをした後、19時から21時まで講演会を行いました。約200名のお客様に聴講頂きました。
講演会終了後もその会場で交流会を行い、1時間に渡ってアキラ氏に質問したり、本へのサインを求めたり、一緒に記念撮影したりの光景が繰り広げられました。
「Michiiii」は首都圏の大学生で構成された団体で、主にカンボジア・グラフィス小学校への継続支援を行っている団体ですが、博物館にも毎年来てくれていて、その縁で今回の講演会を引き受けてくれました。どの学生も一生懸命に友人、知人に声を掛け、またインターネットを使って広報をしてくれて、その結果、大勢のお客様を会場に招いてくれました。
チームワークの良さと、学生のパワーに感動を貰いました。
翌11/1(金)は東京観光に当てていまして、学生達が色々プランを立ててくれていましたが、アキラ氏の体調が優れず、東京都庁を見学しただけで終わりました。
そして翌2日(土)には学生達の先導で成田空港に向かい、午後飛行機で福岡に向けて出発しました。
福岡での初日は、アキラ氏支援者の一人である稲田昭一さんの御厚意で、豪華温泉ホテルである「原鶴温泉パーレンス小野屋」さんに泊めて頂きました。
そして翌3日(日)には、午後から新しい宿泊先である中央区今川の「平和台ホテル5」に移動し、引き受け団体の「一般財団法人・CMCカンボジア地雷撤去キャンペーン」の事務所に大西賢二代表、事務局長の古川純平氏らを訪ね、打ち合わせ及び食事会を行いました。
そして翌4日(月)の14時から、中央区天神の「都久志会館」にて、講演会が開催されました。ここでの講演会は、「CMC設立15周年記念講演会」であり、アキラ氏、アラの他にもカンボジア・バッタンバン在住で、5歳の時地雷被害で片足を失ったソピアップと言う女子大生(2009年に「ミス地雷被害者コンテストグランプリ」を受賞した女性)が招待され、一緒に講演を行いました。
講演会の後会場を移して「福岡ガーデンパレス」にて記念式典・祝賀会が実施されました。講演会には約350名、祝賀会には約180名のお客様が掛け付けて下さっていました。
「CMC」は大谷代表が、1998年5月にカンボジアの地雷撤去、被害者救済を目指して一人で立ち上げられた団体であり、これまで、アキラ氏に対する支援だけで無く、イギリスの地雷撤去団体MAGに対する支援、地雷被害者の就業支援、その他学校を建てたり、地雷被害者を励ます為のラジオ放送を行ったりと、この15年間に渡って幅広く活動されている団体です。これまでの活動を振り返って紹介された大谷代表の講演会での挨拶に、深く感動させられました。
こうして2週間に渡る、京都、大阪、岡山、東京、福岡での講演会を無事終えて、11月5日(火)の午後福岡空港からシェムリアップに向けて飛び立ち、予定より2時間遅れのその日の夜12時にカンボジアに戻って参りました。
講演会には、これまで博物館に来て下さったお客様、応援団員に登録して下さっている方々も大勢参加して下さいましたが、これまではカンボジアに関心をお持ちで無かったお客様やアキラ氏の事を全く知らなかったお客様も大勢参加して下さいました。そうした方々に、アキラ氏を知って頂き、カンボジアに対する関心を持って頂けたなら、この上ない喜びです。
講演会に参加して下さった全てのお客様方に、心より感謝申し上げます。また、今回の講演会を成功に導いて下さった、5団体の関係者の皆様に、心よりお礼申し上げます。本当に有難うございました。
2013年12月22日(日) 川広 肇 記