2013年9月:「松岡秀司」

 

 地雷博物館と関わりを持った2002年から現在まで、地雷博物館のスタッフや関係者とは、良好な関係を持たせてもらっており、家族のようにつきあっています。

10年以上たちますが、アキラやスタッフが地雷原に行くと聞くと、大丈夫だと信じているのですが、やはり死と隣り合わせの仕事ですので心配せずにはいられません。

社会人研修や学生対象のスタディーツアなどを受け入れた際、地雷の説明をするために博物館へ行かせてもらっているのですが、その時は必ず、皆の安否確認をするようにしています。

私が説明を担当する時、いつも1時間前に博物館で準備・待機しているのですが、普段、あまり博物館を訪れる機会がないので、きちんとした説明をする為に、博物館内部に変更点がないかの確認と上記の安否確認をしています。

博物館の皆に何も変わりがないことが確認できると、安堵感に包まれます。

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幸いな事に、私が聞く分には、悪い知らせはなく、説明を行う際、良い精神状態で臨むことが出来ています。

 しかしながら、時には、博物館に行くと知らない子供たちを見かけたりもします。その時ほど、悲しい気持ちになることはありません。つまり、その知らない子供たちは、いまだに埋まっている地雷の被害に遭ったが為に博物館へ来ることになったのです。 

 普段は、シェムリアップにある大学で教鞭を取らせてもらっているので、街中の賑わいを目にしているのですが、こういう時には、さすがに居たたまれなくなります。

 前回の分でも書かせていただいた事ですが、私にとってこの博物館は、迷ったり、悩んだりしている時、また自分の行動や考え方が甘くなりかけている時に、必ず私を良い方向へと軌道修正してくれる存在です。 また、地雷や貧困の前で、教師の無力さを痛感させられることも多くありますが、それでもこの博物館を訪れると、諦めかけていた教師の道を再度歩み出す勇気を持てた頃を思い出します。

当博物館を訪問された方にとっても、その後の生き方や考え方で、良いきっかけをつかめる場所や原点回帰出来る場所となることを切に願っています。

 

                                                アンコール大学                                  

                                                    松岡秀司

 

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