呼びかけ人プロフィール」カテゴリーアーカイブ

日本人応援団団員を代表し、みなさまに当団を呼びかけて頂く「呼びかけ人」のみなさんをご紹介いたします。

川広 肇

「アキラ氏と私」

1954年1月1日生まれ58歳 岡山県出身

大学卒業後東邦生命保険相互会社に20年勤務し、その後家業手伝いも含めいくつかの仕事を経験。
2004年(50歳の時)に起こったイラク日本人人質事件を契機に、将来カンボジアでの地雷に関するボランティアを決意。
2010年下見のつもりで参加したボランティア・ツアーで「アキラ地雷博物館」を初訪問。
翌2011年3月末カンボジア・シェムリアップに渡航、7月より「アキラ地雷博物館」にて日本人客に対するボランティアガイドを担当。
岡山大学法文学部法学科卒。

モットーは「軍事に拠らない国際貢献活動」

 

2012年11月に世界を旅する日本人・立教大学の石田直也君が、ブログで紹介してくれました。         http://ameblo.jp/booshi708/entry-11394458198.html

福岡でNET・ NEWSを提供している㈱データ・マックスさんが記事を掲載して下さいました。        2013年9/28 http://www.data-max.co.jp/2013/09/28/post_16455_dm1806_1.html    
10/10 http://www.data-max.co.jp/2013/10/10/post_16455_dm1701_1.html
         
11/22 http://www.data-max.co.jp/2013/11/22/post_16455_dm1806_1.html


2017年3月7日開発メディア〈ganas〉の記事です。
http://www.ganas.or.jp/20170307akira/

鬼 一二三

1999年6月「先生、僕の夢だった地雷博物館が出来たから見に来て下さい。」と連絡が有り、教え子と共に見学に行った時の写真です。

鬼 一二三 (おに・ひふみ)
東京オリンピックの年に東京都杉並区に生まれる。
東京都立立川短期大学(現:首都大学東京)家政学科卒業後、富士通株式会社に6年間勤務。
退職後、ケニア共和国首都ナイロビに4年間在住。
1992年、玉川大学文学部教育学科(現:通信教育部教育学部教育学科)編入、2010年卒業。
95年、シェムリアップ州で「一二三日本語教室」「123図書館」を始め、3年後『この人』(日本経済新聞)に掲載される。
99年、インターカルト日本語学校『日本語教員養成講座』(420時間相当・通信コース)修了。
2001年「一二三日本語教室」「123図書館」が秋篠宮殿下同妃殿下のご訪問を受け『皇室日記』(日本テレビ)にて放映される。 続きを読む

田辺 美穂子

P1000637田辺 美穂子

広島県出身

1998年に出版社を退職後、世界をまわる旅人になる。

2004年に初めてアキラさんに出会い、その奇跡的な存在に大きな衝撃を受ける。

アキラさんの「自分の守るべきものを何が何でも守る」生き方に感動。自らも、以前より心を痛めていた環境問題に携わっていくことを決心。

「自然や環境を壊す側の人間ではなく、守る側に身を置く」として、1年の半分を中国の砂漠緑化、ボルネオの森林再生活動を中心に日本を離れる生活を続ける。

2013年に川広氏と共通の知人を介してアキラさんの講演会を知り、岡山講演に参加。  川広氏に博物館ボランティアガイドの後任のお話をいただく。

桑原さおり

1996年、バックパッカーとしてカンボジアを訪れました。
当時、プノンペンでは夜間外出禁止令が出ていました。
国内の陸路での移動はできず、ボートでシェムリアップに来ました。
内戦の傷跡がまだまだ残っていて、地雷被害で手足のない人が目立ちました。
シェムリアップにもまだ地雷が多く、行けるところも少なかったです。
カンボジア人の人の温かさや子どもたちの可愛さは十分感じたのですが、アンコールワットがあり今後観光化され町も人も変貌すると思ったので、温かさが失われるかと思い、もうここには来ることはないと思ってました。
2010年に、ニューヨークに住むカメラマンの友人が、シェムリアップの病院の写真を撮りに来ました。
たまたまバンコクにいたので、シェムリアップに来ることにしました。
町は変わっているのですが、人々の純朴さや温かさは変わっていないところにとても驚きました。
地雷処理された場所や村には行けるようになって、さらにカンボジア人の温かさに触れ、ますます魅了されていきました。
ただ、カンボジアは働くところではないと思っていたので、日本で働いてカンボジアに来るという生活を送るうちに、こちらでもお仕事をいただくようになり、今はこちらに住んでいます。

私は、関わった方には地雷博物館を、おすすめしています。
内戦で、たくさんの地雷が使われました。
アキラーさんや、地雷のことを知ることによって、カンボジア人の微笑みの深さを知れたらいいと思います。

田中千草


1978年,北海道芦別市出身。
日本で5年ほど教員を務めた後,2007年1月より2年間,JOCVの小学校教諭としてシェムリアップ市内ワット・ボー小学校に勤務し,音楽教育を中心とした活動を行う。
2009年4月より,個人として現地へ戻り,非営利団体 『アナコット カンボジア』を設立。学校現場での教育活動に加え,就学支援,就労支援を行いつつ,家庭の事情により親と一緒に暮らすことができない子どもたちとともに生活。
2015年,子どもたちや家庭保護のためのシェルター運営開始。

岩田亮子


1954年福岡県福岡市生まれ
学生時代にTVで観た「アメリカの青年達がアフリカで井戸を掘る支援活動」で国際貢献に目覚め(?)、途上国支援が夢となる。航空会社乗務員、日本語教師、CSアドバイザー、企業コンサルタントを経て、夢を果たすべくカンボジアに移り住んだのは2009年。
以来バッタンバン州の農村地帯にある児童養護施設Hope Of Children(HOC)で一人、子ども達の自立支援をしている。2015年に自立プロジェクトとして、「カフェ・レストラン」をバッタンバン市内にオープン。HOCの卒業生と子ども達とで運営している。

2009年にアキラ氏の話を聞いて以来、地雷関係のNGOが多く存在するバッタンバンにあって、地雷の存在も知らずに育つ子ども達に是非アキラ氏の話を聞かせたいと思っていた。2013年に、川広氏の引き合わせで、それが現実のものとなる。しかし、アキラ氏の話を聞いてもどこか遠い昔の物語のように感じている子ども達を目の当たりにし、一念発起。
同年、初めての大旅行と称し、「地雷博物館」に連れて行った。

百聞は一見にしかず!である。
「地雷博物館」の存在は大きい。

カンボジアの若い世代がこうした施設に自ら足を運び、過去から目を背けずにしっかりと未来を担って行って欲しいと願っている。