今月のメッセージ」カテゴリーアーカイブ

当団の呼びかけ人より、月変わりで皆様にメッセージをお届けいたします。

2016年11月:「桑原さおり」

こんにちは。

呼びかけ人の、桑原さおりです。

11月になりましたね!

雨季も終わり、乾季になります。

日本の秋から冬に変わるように、いつも暑いカンボジアも涼しくなり過ごしやすい時期になります。

先日10月31日は、ここでもハロウィーンが盛り上がりました!

私が住んでいる、アンコールワットのある町シェムリアップは、外国人がたくさん訪れます。

外国人たちが集まるエリアを中心に、たくさんのカンボジア人たちも集まり、仮装を楽しみます。

カンボジア人たちの仮装は、恐ろしいお化け(ゾンビ)が多く、パーティで派手なメイクをするカンボジア人たちのゾンビメイクはとてもクオリティが高く、見ていて素晴らしく思います。

さて、先日youtubeで、「combodia1965」というカンボジア内戦前の映像を見ました。

日本でいうと、1964年に東京オリンピックが開催されたその翌年になります。

農業もさることながら、工業化もされていました。

製紙工場、繊維工場、自転車工場などがあります。

町の景色も、整然としていてとても美しい。

カンボジアから想像するものと違うかもしれません。

カンボジア人の日本語ガイドに、内戦前のことを聞きました。

「内戦前のカンボジアには、何でもありました。それを考えると涙が出てきます。」と言っていました。

内戦時代、どれほどの破壊をしたのでしょう。

活字や写真で調べるのもいいですが、映像でも見るのもおすすめいたします。

主要の町の様子       シェムリアップはANGKOR と表示されています。                                    空港も今と違います。アンコールワット前の道もきれいです。

工業の様子

2016年9月:「鬼一二三」

今年の元日、新しい地雷博物館に初めて行きました。

教え子達とアンコールワットで初日の出を拝み、初詣をした後、シェムリアップで一番美味しいカンボジア風素麺(ノム バンチョック)を食べにプレアダっと言う村に行こうと言う話になり、朝食後、その村の先にある地雷博物館にも勉強に行こうと言う事になったのです。

私は、アンコールワットの手前に有った旧地雷博物館には何度も行った事があるのですが、バンテアイスレイ遺跡へ向かう途中の現在の博物館になってからは一度も行く機会が無かったのです。

教え子達と行けて、お互いに良い勉強になりました。

随分混んでいて、盛況でしたので、移転して良かったわ、と思いました。

教え子達は、内戦を知らない世代です。

ただひたすら「可哀想です」と言って展示物を見ておりました。

初詣のお蔭で今年はご縁があったのでしょうか。

月にはある方に「是非アキラ君との再会と会談を撮影させて欲しい」とのご依頼を頂き、本当に久々に彼に会う事が出来ました。

すっかり大人になったアキラ君、3人の子供達に囲まれ、とても幸せそうに見えました。

私がボランティアで日本語を教えている「国際日本文化学園」では、日本語だけではなく日本文化も紹介しており、空手道と柔道の教室も開講しております。

子供達は日本の武道に興味があるそうなので、近いうちにアキラ君の子供達が日本語と武道を習いに来るかもしれません。

親子の学習の手助けが出来るなんて私はなんて幸せなのでしょうか。

地道に頑張っていれば、きっと幸せをつかむ事が出来る事を信じ、これからも奉仕活動を続けて行きたいと思います。

アキラ君にも益々幸せになって欲しいと願っております。

 

日本とカンボジアの交流の場 いろはにほへと.com
東京都認証 特定非営利活動法人 アンコールワット日本文化交流会 [NPO法人 KH(クメール)] http://www.npokh.org
カンボジア王国 シェムリアップ州  国際日本文化学園 [一二三日本語教室&123図書館&櫻空塾空手道場] http://www.ijci.net
代表 鬼 一二三
Tel : +855(012)821977

2016年6月:「川広肇」

呼び掛け人の赤澤さんが現在病気療養中の為、本来4月が赤澤さん、6月が田辺さんだったのですが、順番を変えて4月に田辺さん、今回私が担当させて頂きます。

 

さて今回のメッセージでは、2年ぶりに博物館のガイドに復帰しましたのでその辺りの事を書くつもりでいたのですが、先頃とんでもない話を耳にしましたので、急遽内容を変更してそのとんでもない話について書かせて頂きます。

そのとんでもない話とは、私のことを「反日」と呼んだ人が居た事です。

 

5月のある日、用事で、あるゲストハウスのレストランを訪問した際、たまたまその日に博物館に来て下さったお客様がいらっしゃたので挨拶したのですが、そこに同席していた初対面の男性から、「1年位前に博物館には、反日の70代の男が居たらしいなあ」と言われたのです。

最初は何の事だかさっぱり分かりませんでしたが、よくよく聞いているとどうも私の事を言っているようです。

1年前でも無いし、70代でも無いのですが。

それが分かったのは、こんな事からでした。

 

2014年の2月に私が帰国した後、田辺美穂子さんが5ヶ月間ガイドをしてくれたのですが、その後A君という若者が7月、8月と2ヶ月間ガイドを引き受けてくれました。

しかし、そのA君が来館者に対して「地雷は優しい兵器」との説明をしている事が他のお客様からの連絡で分かり、それはアキラ氏や我々の考えである「地雷は悪魔の兵器」とは真逆の考えだとの理由で本人に確認し、認めたので辞めて貰ったのです。

A君は自衛隊OBであり、思想的には確かに私とは随分違っていましたが、「戦争反対」という点だけは一致したので、それで彼にガイドを引き受けて貰いました。

戦争の悲惨さをお客様に訴えて貰いたいと。

しかし、その願い虚しく、「地雷は優しい兵器」とのとんでもない言葉を残して、彼は去って行ったという訳です。

そして、先程の初対面の男性は、この人も自衛隊OBと言う事でA君と馬が合ったのでしょうが、A君から色々話を聞く中で、「A君を辞めさせた70代の男は、A君の右翼的思想が気に入らなくて辞めさせたんだ、その男は反日だ。」となった様です。

ハナ肇調に言うと、「何でそうなるの?ゲバゲバ」との思いですが、そんな事言ったって、今の若い人は誰も分からないわなあ。

まあ、それは兎も角、この男性に「反日とはどう意味でおっしゃっているのですか?」と聞いた所、彼が言うには「日本を貶める、日本を非難する事を言う人間のことだ」と言われました。

私は確かに今の政権、今の政治状況は嫌いですので、それに対して非難はしますが、日本そのものを非難したことは一度も有りません。

寧ろ、自分が生まれた国である日本が大好きで、だからこそこうして海外で活動して、日本の評判を少しでも高めたいと願っているのです。

日本が好きだからこそ、今の悪い政治状況を一刻も早く良い方向に変えたいと願っているのです。

日本人で「反日」の人なんて、恐らく一人も居ないと思います。

「反日」を叫ぶ人達は、政権を擁護する人達です。そして、それに敵対する人、政権打倒を訴える人に対してこの言葉を投げ掛けます。

戦前、戦争反対を訴える人に対して使った「非国民」とか「売国奴」と言った言葉と同じです。

政権非難に対する言論封殺として、この様な言葉を使いたがります。

 

私は、この「反日」という言葉が大嫌いですが、これと同じ脈絡で使われるものがもう一つ有ります。それは「自虐史観」という言葉です。

 

「自虐史観」も「反日」を叫ぶ人達がよく使う言葉です。

戦争中に日本軍がとった行為を真摯に反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないと願う事が、日本を貶める事になるのでしょうか。

「侵略戦争」「南京事件」「慰安婦問題」等々。

日本は戦争において、被害国であると同時に加害国でもあるのです。

残酷極まりない戦争の中で、日本軍だけが高潔な紳士だったなんて有り得ません。

残虐な行為も当然行っているのです。それが戦争であり、自分が生きる為には相手を殺さなければならないし、食う為には略奪も止むを得なかったのです。

その事実を暴き出す事は、兵士を冒涜する事にはなりません。極限状態で、生きる為に仕方無しにやった事なのですから。

だからこそ、その様な悲惨な戦争、人間が人間で無くなる戦争は二度と起こしてはならないのです。

そうした事実を無かった事にしようとする連中が、この「自虐史観」という言葉を使いたがります。

「自虐史観」という言葉を使って、日本軍の行った戦争犯罪と真面目に向き合い、自分はその様な戦争犯罪にこの先絶対に加担したくないと願う人々の言論封殺を図ります。

こんな事をしていたら、日本人というのは、過去を反省しない民族なのかと世界に思われてしまいます。

こういう言葉を使って言論封殺する人こそ、日本を貶めていると気付かないのでしょうか。

 

ドイツの元大統領・ヴァイツゼッカーの有名な言葉があります。

「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」

 

「反日」「自虐史観」といった言葉を使って、それを非難する人達の言論封殺を図ろうとする連中には、是非この言葉を噛み締めて貰いたいと思います。

 

2016年4月:「田辺美穂子」

先日、突然友人から「アキラさん、今テレビに出てるよ。」とのメールが届きました。

そう。2月のメッセージで田子真由美さんが書いていらっしゃる「世界まる見え!テレビ特捜部~神業スペシャル」のことです。

残念ながら私はその時まだ帰宅しておらず、リアルタイムで番組を見ることはできなかったのですが、その後You Tubeで検索して無事アキラさんの姿を見ることができました。

田子さんも書かれているとおり、事実とは少し異なる部分…、例えば、地雷撤去方法。             現在のカンボジアでは素手での地雷撤去は法律で禁止されているため、アキラさんも今は昔のような素手ではなく、法律通りに器具を使用して作業しているのにも関わらず、今でも素手で地雷撤去をしているように紹介されたり、などということもありましたが、まぁそれは番組の趣旨が神の手を持つ人物特集、『「神業」スペシャル』 とのことなので、そこはいた仕方ないとして、でも撤去方法はどうあれアキラさんの昔から変わらない一貫した強い思いは確実に視聴者の方々には伝わったらしく、テレビ放映後、この「アキラ地雷博物館 日本人応援団」にもたくさんの方から問い合わせをいただいたと聞いております。

改めて、テレビの力とは大きいですね。本当にありがたいことです。

 

インタビューの画像でアキラさんが木に登り、枝に座った状態でいろいろな話をしているシーンがありましたが、以前、「ジャングルが大好き。森の中に入るとホッとする。」と、言っていたアキラさんらしいアングルだなぁ、となんだか微笑ましく見てしまいました。

普通はインタビューって椅子に座るか、地面に立ってするものですよね?

木の上…って…木に触れてると落ち着くのかなぁ。

私も大きな木が大好きだから、すごーくわかるぅ。なんて嬉しく思ったりして。

 

昨年6月の「今月のメッセージ」でも書かせていただきましたが、私は以前は中国の沙漠に木を植える砂漠緑化活動、 最近では森林破壊が続くボルネオで森林再生活動や、動物保全活動のお手伝いをしています。

http://lazymihoko.blog.fc2.com/

 

地雷という悪魔の兵器から人々を守り救うために命を懸けて地雷撤去活動を続けているアキラさん。

「人」と「植物」と「動物」がみんな共存して生きることが、地球を守ることにつながる。地球はどれか一つの為のモノではないし、どれかひとつでも欠けてはいけないということ。

幼いころから森の中で生活してきたアキラさんはきっとそのことを意識的にではなく、感覚的に知っているような気がしてならないのです。

「人」を助け守り、「動物」を愛し、「森」の中で癒され寛いだ表情を見せるアキラさんは、「地球」に生きる人間として、やっぱりずっと私の憧れの的なのでした。

ああ、そういえばアキラさん、本のインタビューで「あなたの職業は?」との質問に、「人。」って答えていましたっけね。

人間としてあるべき姿を、いつも教えてくれるステキ・アキラさん。これからもずっと応援しています!!

2016年2月:「田子真弓」

こんにちは!日本では寒い日が続いていますね。
カンボジアはちょうど乾季まっただ中、観光シーズン!
地雷博物館にもたくさんの方が足を運んでくれているといいな!

先日、1月18日の「世界まる見え!テレビ特捜部~神ワザスペシャル~」、
みなさんご覧になられましたか?
「勇気と集中力!素手で地雷除去を行う危険な男」としてAkiRaさんが
取り上げられていましたね。
(見逃した!という方は、You Tubeでご覧ください。
世界まる見え!テレビ特捜部、1月18日、の検索で見られます。)

その特集では、AkiRaさんが少年兵になった頃のことから、その歴史背景、
地雷撤去の様子、チェットのことも紹介されていました。
私が初めて地雷博物館を訪れた時、お土産売り場の横で、島田紳助さんの番組で
AkiRaさんが紹介されたVTRを流していたことを思い出しました。
今見ると、あの時の紳助さんの特集も、今回の丸見えも、番組として
真実ばかりでなく脚色も入っているのがわかりますが、
当時の地雷やカンボジアの歴史についてよく知らなかった私にとっては
衝撃で、いろんなものを見る目が変わったように思います。
AkiRaさん、地雷などのテーマに興味を持つきっかけになったといっても
過言ではないと思います。

番組を見て、以前の私と同じように地雷やカンボジアについてあまり知らない
方たちが、関心を持ってくださったり、カンボジアや地雷博物館に足を運んでくださると
いいなぁと思いました。

AkiRaさんの特集の最後に、カンボジアの紹介員?みたいな人が、
「実は日本にも地雷撤去やAkiRaさんの活動を支援している団体がいるんですよ~!」
と言っていて、ドキッ!もしかして講演の様子や、日本人応援団のこと、他の支援団体の
方たちが紹介されるのかな?と思いましたが…。
むむむ~なぜか、それだけの一言で終わってしまいました。
そういうところで、日本人応援団のことや、支援する方法、活動の様子が紹介されるように
なるといいですね!私達ももうひと頑張り!というところでしょうかネ。

明日からもがんばりましょう!!!!
(私は現在3人目妊娠中。春の出産、がんばりまっす!)

2015年10月:「鬼一二三」

呼びかけ人の鬼一二三で御座います。私はシェムリアップで20年に亘り日本語教室を開いておりますが、アキラ君は開校初期の教え子です。                                  皆様は「密林少年 1,2 」(ヤングジャンプコミックス) をお読みになった事がありますか。アキラ君の事が誰にでも分かりやすく描かれております。                                            「アキラの地雷博物館とこどもたち」(三省堂)は、三省堂の編集者の方にお会いして、出版前に若干のお手伝いをさせて頂きました。中学生以上なら読めるよう、易しく書かれております。是非ご一読下さい。

私は「カンボジア日本語ガイドの基礎知識100」(一二三日本語教室)と言う本を出版致しました。日本語学習者が日本語ガイドになる為に必要な最低限の知識を100課に分けてまとめた物です。                                      その本の中の「歴史」の単元に「地雷」と言う課が御座います。アキラ君に聞いた話を元にして本文と致しましたので、こちらにご紹介させて頂きます。なお、一般の書店には御座いませんので、拙著をご希望の方は私宛にご連絡下さいませ。onihifumi@hotmail.com

第45課 地雷                                                                        地雷には人間を狙った対人地雷や、戦車を狙った対戦車地雷など、色々な物があります。カンボジアには内戦時代のスポンサーだった世界の国々で作られた数多くの種類の地雷が埋められています。  内戦時代に埋められた地雷が今でも眠っている地域は地雷原と呼ばれています。内戦時代にカンボジアではどうして地雷が大量に使用されたのでしょうか。  地雷は安くて便利で扱いやすい武器・兵器です。森の中でも持って行けるし、訓練をあまり受けなくても、誰にでも簡単に仕掛けることができます。大量の鉄も要りません。写真のフィルムケースのような容器があればすぐ作ることができます。それでたくさん埋められてしまったのです。  地雷の撤去・処理はカンボジアでは金属探知機を使って、1つ1つ手作業で行われています。1個300円の地雷を除去するのに1万円から10万円もかかります。  ここにある物は皆、安全処理をして火薬が取り除いてありますから、触っても大丈夫です。  地雷の除去は国際的な地雷処理団体の協力によってどんどん行われています。  今日皆さんをご案内する観光地には地雷はまったく残っていませんので、どうぞご安心下さい。

 

日本とカンボジアの交流の場 いろはにほへと.com/info/ 

東京都認証 特定非営利活動法人 アンコールワット日本文化交流会 [NPO法人 KH(クメール)] http://www.npokh.org

カンボジア王国 シェムリアップ州  国際日本文化学園 [一二三日本語教室&123図書館&櫻空塾空手道場] http://www.ijci.net

代表 鬼 一二三

Tel : +855(012)821977

E-mail : onihifumi@hotmail.com

 

2015年6月:「田辺美穂子」

昨年2月から6月までの4ヶ月間、「アキラ地雷博物館」で日本語ガイドをさせていただいてから、早いもので1年が経ちました。

その間の数々の貴重な体験は現在も変わらず私の宝物になっています。

昨年6月にカンボジアを出てからは、かねてより参加していた中国の沙漠緑化活動の現場に短期で戻ったりもしつつ、つい先日、ここ6年通い続けているボルネオから帰国いたしました。

今までは中央カリマンタンで森林再生のお手伝いをさせていただいていましたが、今回は東カリマンタンで念願のオランウータンの保護活動のお手伝いです。

現在、カリマンタンではパームオイル(油ヤシ)のプランテーション等による森林伐採が進み、棲み処を追われたオランウータンが食べ物を求めてプランテーションの中に迷い込み、労働者によって殺されてしまう事件が多発しています。

母親を殺された赤ちゃんは異国に密輸され、時には虐待を受けたり、違法にペットとして飼われたりして本来あるべき野生の姿を奪われているのです。

木で作られた、身動きも満足にできない小さな箱のような小屋に入れられ、隙間から目だけを覗かせて寂しそうに外を窺っている姿は居たたまれない気持ちでいっぱいになります。

そういった動物達を救出して野生に戻る訓練をし、いつか森に還す活動をしている団体のキャンプにお邪魔していたのですが、森の中に小屋を建て、そこで食事を摂り、水浴びをし、眠る生活。

インドネシアという暑い国で、そこだけはひんやりと涼しく、朝は鳥と猿の鳴き声で目覚め、夜は虫の鳴き声を聞きながら眠りにつく毎日。

森林伐採、環境破壊が進むボルネオ島で、その森は確かにたくさんの命を育み、生き続けていました。

24時間の電気も無く、水道もなく、テレビも何も無い森の中での生活は、それでも確かに「守られている安心感」に包まれた、かけがえのない幸せな時間でした。

「森は全ての命のお母さん」   以前、インドネシアの友達が私に言った言葉です。

さて、アキラさんも実はジャングルが大好き。

子供の頃からずっとジャングルで生活していた為、ジャングルに戻ると凄く生き生きとした表情になるのですよ。

もちろん、内戦中の辛い体験は今でもアキラさんの心に大きな傷となって残っていますが。

当時、心が壊れてしまう程の恐ろしい日々を送っていたアキラさん達少年兵を、森は時にきっと例えようのない大きな愛情で包み込んでいたに違いないと思います。

政治の腐敗が進むカンボジアでも、森林伐採、環境破壊は進んでいます。

無くした物の代償の大きさは、無くしてから気付いても遅い。  政治の腐敗は環境を壊し、それはあらゆる命の滅亡に繋がります。

アキラさんは現在地雷撤去だけでなく、政治の改革にも身を投じ、カンボジアという国が少しでも良い国になるよう、文字通り命懸けで頑張っています。

少年時代をジャングルの中で生活し、少年兵として戦い続ける日々を送ったアキラさんは、内戦が終わった現在は、残された地雷、そしてカンボジアという美しい国を私欲に溺れて壊し続ける見えない敵と戦っています。

アキラさんの目は常に未来に向かっているのでしょう。その目はいつか必ず地球をも救える力を持っているはず。ああ、アキラさんにまた会いたくなってきちゃった。

アキラさんとは、こんな素晴らしい人です。   さあ皆さん、どうぞ、どしどしカンボジアに、「アキラ地雷博物館」にお出でくださいまし。

2015年4月:「川広 肇」

 

そもそも私が、何らかの国際貢献活動をやろうと思うに至るきっかけとなりましたのが、今からちょうど11年前、2004年4月に起こりました「イラク日本人人質事件」です。この時日本中で、人質となった3人の若者に対するバッシングの嵐が吹き荒れました。私は、何としても彼らを擁護したいと思いましたが、自分が何もしていないのにいくら口で言っても全然説得力が無い、自分の言葉に重みを持たせるには、自らが国際貢献活動をしなければと考えたのです。

それから7年後の2011年3月に、カンボジアに渡りました。

今回の「呼び掛け人メッセージ」では、その「イラク日本人人質事件」について、新聞投稿用に書いた文章を掲載したいと思います。実際の投稿文章は、字数制限もある為かなり推敲を重ねて短くなり、また過激な表現は避けたものになっていますが、ここに掲載するに当たっては心からの叫びを受け取って頂きたく、原文をそのまま掲載致します。論調が乱暴で品位に欠ける部分もありますが、心からの率直な思いですのでお許し頂きたく存じます。少々長文ですが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

 

「イラクの邦人誘拐人質事件」について

2004年4月28日

2004年4月8日、紛争中のイラクにおいて『サラヤ・ムジャヒディン』を名乗る武装集団による日本人誘拐人質事件が発生してからちょうど1週間目の15日に、被害者3人が無事解放されたとのニュースが流れた。固唾を飲んで状況を見守っていただけに我が事の様に嬉しかった。家族は連日テレビに出て、極度の疲労からフラフラになりながらも世論の力を借りて何とか国を動かそうと必死の思いで救出を訴えかけていた。それだけに無事救出の一報が流れた時には支援者と共に小躍りして喜んだ。17日には3人とは別に誘拐されていた残り2人の日本人も無事解放され、一応全てが良い形で解決したかに思えた。ところがである。今とんでもない事が起こっている。この被害者とその家族に対する政府と保守系マスコミ、そしてそれに同調する国民からのバッシングが異常な広がりをみせているのである。いわゆる「自己責任論」である。

事件が解決する前から、苦悩し疲労困ばいする家族の元には夥しい数のいやがらせの手紙やファクスが殺到し、インターネットの掲示板には人質本人に対する悪意に満ちた書き込みが溢れ、中には自作自演説まで流れ、それは事件解決後も続いていると言う。更に政府関係者は事件解決と同時に一斉に、家族と本人に対する誹謗中傷を開始したのである。

被害者5人、特に最初の3人は、危険地帯であるイラクからの再三に渡る国の退避勧告を無視してイラクに留まり、結果人質となって国に多大な費用負担と人的苦痛を負わせ国益を損ねたというものである。また家族は、息子や娘、兄弟がそうなったのは自業自得であるにも関わらずそれには目をつぶって恥知らずにも国に救出を訴え、犯人側の「3日以内にサマワに派遣した自衛隊を撤退させなければ人質3人を生きたまま焼き殺す」という要求に乗った形で国に自衛隊の撤退を訴え、拒否されるとヒステリックに国を攻め、小泉首相との面会を執拗に求めたが、その態度は不遜であり傲慢であるというものである。

5人は決して物見遊山や冒険心で危険なイラクに入ったのではない。唯一の女性高遠さんはボランティア活動家で、イラクのストリートチルドレンを救う為にイラクに渡った人であり、最年少の今井君は、うちの息子と同じ今春高校を卒業したばかりの18歳だが、NGOの活動家でありアメリカ軍によって使用されている劣化ウラン弾の残虐性を調査し絵本にしようと高遠さんと一緒にイラクに入った。郡山さんはフリーのカメラマンであり、アメリカ側からの一方的な報道では分からないイラクの本当の惨状を世界に訴える為にイラクに渡った人である。残る2人もそれぞれフリージャーナリストとNGOの活動家であり、5人とも危険は十分承知の上でそれでも尚自分を突き動かす使命感に燃え、私利私欲でなく真のヒューマニズムと自己犠牲の精神のもと国がやらない本当の人道支援と真実の報道を命懸けでやった人達である。こうした人がまだ日本にいる事に安堵する。特に今井君はまだ18歳である。

未成年者による凶悪な犯罪が増加の一途を辿り、つい先日も事もあろうに我が家の近くの瀬戸駅で、赤磐郡内の19歳の浪人生が瀬戸町在住の72歳のお年寄りと些細な事で口論となり、数回殴った挙句に線路に突き落とし意識不明の重態に陥らせたというショッキングなニュースが流れたばかりである。岡山駅でも土曜日の深夜や早朝には男女を問わず若い連中が大勢たむろし無駄な時間を過ごしているし、また電車に乗る時、列に並ばないで横から割り込む女子高生をしばしば目にする。そんな時代に高校を出たばかりの子がイラクの人々を救うため、戦争の悲惨さを世界に訴えるために立ち上がったのである。何と崇高で気高い行為であろう。尊敬されてしかるべきである。本人は元よりその様な子を育てた両親も称えられて当然である。それなのにこの国では全く逆の事が起こっている。

5人の被害者が揃ってイラクへの自衛隊派遣に反対した人達であり、今井君の母親が日本共産党員だということもあってか、小泉首相を始めとする政府の閣僚どもは「自己責任論」などと言う全く己に似つかわしくない、自分が失敗を犯しても決して責任など取ろうとしない事を棚に上げて、政府の方針に反対する者はまるで非国民とでも言わんばかりの非難の大合唱をし、それによって自衛隊派遣という全く大儀の無いアメリカ追従路線から国民の目をそらさせ、自分の為でなく他人の為に生きようとする彼らと全く対極にいるすばらしい人達の善意の行動の芽を摘もうとしている。小泉、福田、平沼、麻生、中川、安倍、そして石原慎太郎、公明党の冬柴等々・・・・。

彼らの中には「救出には莫大な国民の税金が使われたのであり、こうした行為を今後防ぐためにも掛かった費用の一部を被害者に負担させれば良い」とまで言う者もいる。自分たちが官房機密費など税金の無駄遣いを平気でやっているくせに何をかいわんやである。自分たちのこうした軽薄な発言が、次世代の人々のボランティア活動や善意の行動への芽生えに水を差し、世の中をますます悪くする事に思いが至らないのか。政治家でなく本当に品位の無い、志の低い政治屋どもである。

今回の救出劇で政府の取った行動がどれだけ有効であったかは大いに疑問であり、本当の功労者は現地のスンニ派イスラム聖職者協会なのであるがそれはともかく、国家が自国民を救うのは当たり前でありそのために我々は税金を払っているのである。そもそも自衛隊を派遣したからこうした事態が発生したのであり、それを棚に上げて恩着せがましい事を言うなと言いたい。テレビのワイドショーで司会の大和田獏が「救出に国民の税金が20億円使われたと言っても1人当たりにすればたった20円です。国民の命は重いのです」と言ったが、全くその通りである。

政府の連中がこうした発言をするのは政権維持にのみ汲々とする愚かさ故に、腹は立つけれどもある意味予想の範囲内ではあるが、一般の国民の半数がこんな政府を支持し、崇高な意志を持った被害者とその家族に対して情け容赦のないバッシングを行おうとは本当にショックである。マスコミもしかりで「週刊新潮」や「文春」は被害者達のプライバシーを暴き立て、「読売新聞」や「サンケイ新聞」は相当辛辣な自己責任論を展開している。

今井君や高遠さんらのボランティア活動家に対してだけでなく自分たちの身内のフリージャーナリストに対してまで危険地帯に入るべきでないと言う。自分で責任の取れない危険はそれが何の目的であろうと冒すなと言う。それなら新聞紙上で、あるジャーナリストが発言していたが「戦場で地雷を踏んで死んだロバート・キャパを非難できるのか」と言う主張をどう受け止めるのか。植村直巳などの冒険家が死んだのは単なる自業自得で価値の無い事なのか。危険を冒すな、国に迷惑を掛けるなと言うなら未知への挑戦は出来ないし、人類の進歩は止まってしまうだろう。真実も伝わってこない。

テレビに出る政治評論家は政府のお先棒を担ぐし、あのつるっぱげの三宅久之など高遠さんのイラクでのボランティア活動に対して「何もわざわざ外国まで行かなくても、日本国内に困っている人はいくらでもいるのだからそうした人を救えばいい」と言っていた。本当にアホかと言いたい。何もしない奴に限ってそういうことを言う。それなら国際貢献などと言う言葉を使うな。元広島テレビのアナウンサーで自民党参議院議員の柏村武昭は『反日的分子』発言までして人質を非難した。全く見識を疑う。こんなのを国会議員にするな。

こうした国内の論調に対して外国メディアは一様に異を唱えている。あのパウエル国務長官でさえ人質とその家族に一定の理解を示している。そうした事を考えるとこの国の民主主義はいかにもお粗末であり、本当に情けない。そんな中であの『ゴーマニズム宣言』の小林よしのりが政府の姿勢を責めていたのは意外であった。また作曲家で作家のなかにし礼がコメンテーターとして出演している昼のテレビ番組『ワイドスクランブル』(司会;大和田獏、大下容子)の中で実に見識高く、胸を打つ意見を述べていたのが印象的であったが・・・・。

また、家族が政府に対して「見捨てるんですか」と声を荒げた事を咎める意見があるが、小泉、福田は自衛隊を3日以内に撤退させなければ人質を殺すとの犯人側の要求に対して、まるで人質の命など歯牙にも掛けないとばかりに即座に「撤退はしない。テロには屈しない」と発表した。これに対して家族は命の重みを訴えたのであり、これが非難される事なのか。家族として必死になるのは当然で、冷静でいられるはずがない。こんな状況で家族が何も発言しなければ、反対に「何と冷たいんだ」と非難されるだろう。犯人側は人質解放の条件として日本国政府に対して自衛隊撤退の要求を突きつけているのだから政府に頼むしか方法が無いではないか。

今、国民の内の半数がイラクへの自衛隊派遣を支持し、そうした連中が今回被害者となった5人とその家族に対するバッシングに加担している、国に対して物が言えない状況を作り出している、まるで戦争前夜の様に・・・。老いも若きも政府のプロパガンダに簡単に乗ってしまう国民性、国に迷惑を掛けてはいけない、国に逆らってはいけないと言った民主主義の根幹を揺るがす悪しき考え方、国家を個人の上に置く考え方がまたぞろ幅を効かせてきている。全くもって憂慮すべき事態である。

世の中では老人を騙して平気で金を巻き上げるオレオレ詐欺や悪質な訪問販売が横行し、自分さえ良ければ他人はどうなっても良いとの考え方が浸透しつつあるが、今回の高遠さんや今井君への攻撃がそれを益々加速させるに違いない。ホームレスの人に対する暴行事件や朝鮮学校の生徒へのいやがらせ事件、学校でのいじめなど弱い立場の人への容赦ない攻撃、これらと今回の事態は同根でありこれが今の日本の現状である。この先更に憲法が改悪され、教育基本法には愛国心が盛り込まれようとしている。一体この国の行く末はどうなるのか。こんな社会の中でうちの息子達は生きていかなければならないのかと思うと暗澹たる気持ちになる。

こんな中4月26日、ネオコンに彩られたブッシュべったりの小泉自公連立政権が、異常な支持率に支えられながら発足丸3年を迎えた。憲法をないがしろにしてイラク特措法を成立させ、挙句に非戦闘地域への人道復興支援という欺瞞に満ちた名目のもと自衛隊を海外の紛争地域に派兵させた戦後最悪の内閣が・・・。言い様の無い絶望感と国民に対する不信感ばかりが心を支配している。

 

 

2014年12月:「田子真弓」

 

チョムリアップスオー。寒くなってきましたね。カンボジアの暑さがかなり恋しいまあちです。

今回は「文房具などの物資の支援」について、私が思っていることを書きます。もうカンボジアから足が遠のき約3年。結婚して子供ができ、近かったカンボジアが最近は遠くに感じられて少しさみしいです。こうして長く日本にいると、世界で困っている人たちがたくさんいることはわかっていても、自分には何もできないようなそんな気持ちになりませんか?世界の人達よりも、もっと身近で困っている人がいる、やるべきことがある、私ができる小さなことなんて、何になるの?そんな気持ちに。

日本にいる状態で、できる支援といえばやはりお金や物資での支援。いろいろありますよね、よく目にしますよね。でもそれって、現地の人達が本当はどう思っているのか、本当にちゃんと困ってる人を「助ける」ということになっているのか。私がカンボジアにいる時に、その疑問を現地の人にぶつけたことがありました。「ぶっちゃけ、文房具とかの支援ってどうなの?」「ぶっちゃけ、お金…かもしれんけど、本当に足りないものは何?」など。私は地雷博物館で働く前、トンレサップ湖の学校、バッタンバンの学校などに文房具を届ける活動を手助けしていたこともあり、トンレサップ湖で仲良くなったぽっちゃり先生(ボランティアで子供たちを教えていたすごく優しくステキな先生)に、上記の質問をしてみたことがありました。

以下、私の当時のブログより抜粋。

 

(Cammy’s Factory 「ぽっちゃり先生を訪ねて」より)

物資の支援はすごく難しい。善意から始めても、ものをあげて、あげた人自身が満足するだけだったら意味がない。特にトンレサップ湖周辺の学校や集落は、いろんな国から、いろんな人から支援をうけていて、それは大きければ学校を建てたり、個人レベルであれば、文房具や服などを持っていったり様々だけど、支援されて当然、というかもっとちょうだい?と考えてる人も少なからずいるように思う

「物資の支援は、支援を受ける側の人たちを物乞いにする」というなかなか厳しい、しかし時に的を得ていると思う意見を聞いたことがある。本当の支援は、彼らが自分でそれらを買えるようになる手助けをすること。仕事を教える、子どもへの教育、カンボジア人自身が自分たちの手でカンボジアを発展させていけるように手助けをすること。知ってるけど!そんな理屈も知ってはいるが、そしてたいへん正しいとも思うが、私は、「ものを持って行って、あげる」という方法が、そんなに嫌いではない。「物資の支援」という難しく固い言い方はあんまり好きではないけれど、こうしたからこうしてほしい、という見返り抜きの気持ちは、困ってる人、悲しい思いをしている人に何かしたいという純粋な気持ちはあったか~い愛のかたまりそのもの。そして何もしないで何もできないと思っているよりは、そうして自分のできることを小さくとも行動した方がすごいと思う。

ぽっちゃり先生は、私の質問にこう答えました。「文房具は、いつでも、どれだけでも嬉しいと思う。ここでは、学校に入って授業を受けるのは無料なんだけど、制服や文房具類は各家庭で用意しなければならなくて、それが難しい家庭もある。そういう負担を少しでも減らせられればもっとたくさんの子どもたちが未来のために学べるようになるんだ。子どもたちは、大切に文房具を使っている。たくさんの人たちが自分たちのことを想ってくれていることを、わかってるよ。」

一方的な物資の支援じゃない。彼らのことを物乞いになんかしない。文房具と共にちゃんとその想いを、やさしくてあったかい気持ちを伝えれば、それは「世界共通・思い遣り」なんだ。   以上。

 

現地で自分が汗を流してする支援もある、でも日本にいてもできること、困ってる人を笑顔にする方法はきっとある。毎日忙しい!!!でもその中で自分ができることを少しずつでもしていけたらいいなと思うのでした。

2014年10月:「松岡秀司」 

 

アキラ地雷博物館日本人応援団・松岡秀司です。

7月末から9月中旬まで、スタディーツアーを中心に、訪問いただいた方に地雷については勿論、館長であるアキラ氏の半生を軸として、地雷博物館の設立経緯などについてもお話をさせていただきました。

説明をさせていただいた時間はわずかでしたが、少しでも多くの方に、観光や復興などの現実に加えて、なかなか光が当たらない部分について知っていただく良いきっかけになっていればと思います。まずは、自分の目で見て知る事が、理解をする上で最も有効であると考えています。

特に、学生の皆さんは、これから就職活動や留学、大学院進学など、人生で重要な岐路に立つことになります。その際、明確な判断基準を持ち、勇気をもって臨んで下さい。 これからカンボジアに行こうと考えておられる方には、是非、当館に御越しいただき、カンボジアの歴史に目を向けていただければ幸いです。