今月のメッセージ」カテゴリーアーカイブ

当団の呼びかけ人より、月変わりで皆様にメッセージをお届けいたします。

2018年8月1日:「岩田亮子」

 

5年振りに行われたカンボジアの国政選挙は、昨年暮れ、政府与党CPP(カンボジア人民党)が最大

野党CNRP(カンボジア救国党)を解党すると言う前代未聞の報復に始まりました。

かくして7月29日、事実上不戦勝で行われたこの選挙を「与党の圧勝」と書き立てるメディア。

どこが公正な選挙でしょうか。

投票率80%超えは、当局による制裁を恐れただけとも囁かれ、選挙結果の正当性を示す数字とは

到底思えません。

一方無効票が前回の5倍以上に膨れ上がったという事実。

この物言わぬ抵抗が示す数字の意味を重く受け止めたいと思います。

過去の政治の過ちを時代に翻弄された一市民(アキラー氏)が償い続ける一方で、相変わらず同じ

過ち、暴挙を繰り返す政権与党。

私が自立支援を行っている「Hope Of Children」の名前は、子ども達に希望を持って生きて欲しい

と言う願いを込めて名付けられました。

愛する子ども達の未来に翳りや暗雲が立ち込めることのないよう、祈るばかりです。

全てが徒労に終わらぬために。

 

バッタンバン
Hope Of Children
自立支援ボランティア
岩田亮子

2018年6月:「田辺美穂子」

 

ただいまラオスの旅真っ最中です。
日本でのストレスフルな生活が疲労のピークに近付くと、私は2週間くらいで旅に出て心身ともにリフレッシュするようにしているのですが、それはカンボジアであったり、タイであったり、「昭和の日本」をちょっと思い出せるような国に出かけて行くのが習慣になっています。

ラオスはそんな私には4度目の訪問。最初は14年前だったでしょうか。
その頃に比べると、車の数もバイクの数もゲストハウスの数も観光客の数も以前とは比べ物にならないほど増えていて、それはもちろん、ラオスに限らずカンボジアでもどこでも同じなのですけど。

我が国のことは高い棚に上げて、お気に入りの国がそこの自然や環境を犠牲にして急速に発展していく姿には言い表せない悲しみと寂しさを感じてしまうのですが、それでも、日本での生活とは違い、ヒールのある靴と上着を脱いで、歩きやすいサンダルを素足にひっかけて動きやすい服装で過ごせることの、なんとストレスフリーなことよ!

10年間、旅人をしてきた私にとって、歩きやすい靴と、動きやすい服装、たくさん入って軽くて便利な鞄。これが本来人間に必要なスタイルだときっぱりと信じているのですが、どうして日本の生活に戻ると、格好良いだけで豆や魚の目ばかりできちゃう靴を履いて足の形を変形させながら、真夏で汗をダラダラ流しつつ秋服を着なければならなかったり、重いばかりで持ちにくい革の鞄を持ってみたり。

人間て本当に不思議ですね!

14年前に初めてラオス一周の旅した時に、この、まさに「山と共存して生きている山の民」の人々の素朴な姿を見ていて当時の私は

「もしも地球がダメになる時が来たら、神様は『今まで環境を破壊するような生活をしてきたけど、地球を救えるかもしれないいろいろな知識を備えた先進国の人間』と、『地球を救う知識や技術は持たないけど自然界から何も奪うこと無く共存して生きている山の人達』とどちらを地球に残すのかな」というようなことをなんとなく毎日考えていたように思います。

あれから14年、ラオスの人達もみなスマホを持ち、ゲストハウスもますます建築ラッシュ!
となりのゲストハウスとくっつきすぎてて窓も開けられない状態なんてもう日常茶飯事というかなんというか。
道路もあの頃は砂埃舞い上がる砂道ばかりだったのが、いまではどこも綺麗な舗装道路が続いていて。

でも、どうかこの美しい川と山を愛する気持ちだけは忘れないで、この国の本当の宝を見失わないでください、と切に願いつつもう少し今回のラオスの旅は続くのでした。

  

ああ、カンボジアにも立ち寄りたい!!  という強い誘惑に負けないように、1週間後には日本に帰国です。

アキラさん、元気かなぁ。
講演会、絶対行くので頑張って下さいね!!

 

2018年4月:「古白川 真」

初めまして。
古白川 真(こしらかわ しん)と申します。

現在はカンボジアのシェムリアップで、ものづくりの会社を営む傍ら、
「MINE IS YOURS」というプロジェクトを立ち上げ、
地雷問題を啓蒙する「FORKS FOR FOLKS」という活動を行っています。

アキラ氏と親しくなったきっかけは、
音楽好きであるアキラ氏から、日本人応援団の川広氏を通じて
「息子のアマタに音楽を教えてくれないか?」
と要請を受けたことがきっかけだったと記憶しています。

もちろんそれ以前からアキラ氏の存在は知っていましたが、
親しくなっていく中で、彼らに何かできないかという気持ちがより高まり、
地雷問題に対峙するプロジェクトを立ち上げることになりました。

今回はその事について少し書かせて頂きたいと思います。

●●●【動機】●●●
初めてカンボジアに来た時、自分の命を賭けて地雷撤去をする人たちの存在を知り、
心の芯から動く何かがありました。

人生で初めて損得抜きに「この人たちの為に何かしたい」と思った男たちは、
シーズン中毎日地雷原に行き、爆弾を撤去しています。

それはまるで、私たちが会社や学校に通うのと同じように。

ひとつだけ違うのは「命をかけている」ということ。

もし、顔も名前も知らない人たちなら
「世界のどこかの誰か」
で終わってたかもしれません。

でも、自分の仲間や親友やその家族の手足が吹き飛んだり、死んでしまったら。

 

知り合ってしまった以上、私にとって彼らの存在は
もう「世界のどこかの誰か」ではなくなってしまいました。

 

自分の中の「尊敬」の定義の一つは「自分が到底できないことをやってのける人」で、
彼らの存在はまさにその最たるものでした。

彼らの中には結婚して子供がいる者もおり、女性もいます。

50℃近くになる灼熱の大地の中で、10kg以上もする防具やヘルメットをつけ、
ひとつ間違えば手足頭が吹っ飛ぶ中、1日に何時間も集中を切らすことなく爆弾を撤去をする。

それをほぼ毎日、何ヶ月も行うんです。

 

地雷原に同行し撤去作業を何度も間近で見せて頂き、
芽生えた正直な気持ちは、

 

 

「俺もこれをやりたい」

 

 

でした。

 

稚拙な考えなのは重々承知の上ですが、それは思考よりも衝動的なものでした。

彼らに撤去の方法を教えて貰えないか真剣に提案したこともありましたが、
昔と違い、厳しい国際法の中で普通の外国人は撤去どころか爆弾に触れることすらできません。

「自分は関わることすら許されない」

そこに強い劣等感も覚えました。

 

 

色々と考えを巡らせた結果、
自分なりの方法で彼らを支援するため、

【FORKS FOR FOLKS】

というプロジェクトを立ち上げました。

詳しい活動内容はここでは割愛しますが、
一言でいうと、武器としての象徴である薬莢をフォークに変え、
その収益を彼らの地雷原での食事代に充てるという
「銃器を什器に、武器を食器に」という活動です。

この活動を通じて、少しでも彼らの力になりたいと思っています。

命を賭けて家族の為カンボジアの為に働く彼らの事を、私は心から尊敬しています。

 

 

きっかけは何でもいいと思っています。

 

私の場合は得意分野であるものづくりで彼らに寄与したいと思い、行動を起こしましたが、

毎日の生活に命を張っている人間がいる。

彼らに思いを馳せる。

そんな時間を1日の中で少しでも作る。

それでいいと思うんです。

 

そして、できる事なら、できる時に、何かの形で行動を起こす。
彼らの力になる。

日本人応援団をはじめとする私達の活動が、少しでもそのように感じて頂けるきっかけを作ることができれば、これに勝るものはございません。

アキラ氏及びCSHDへの応援、ご支援の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

アキラ日本人応援団:
http://www.akira-landminefree.org/support/

Cambodian Self Help Dimining | donate:
http://www.cambodianselfhelpdemining.org/donate/

武器だった薬莢から作った食器。 1本の収益が彼らの食事代1食分に変わります。

2018年2月:「桑原さおり」

 

新年あけましておめでとうございます。

2018年に入って、初めての投稿になりますので、まずはご挨拶をさせていただきます。

 

今年は4年ごとに行われる、カンボジアの国政選挙の年になります。

内戦が終わり、多くの観光客が町にあふれるシェムリアップですが、選挙が近づくと多くの

カンボジア人が、選挙活動に加わり町中をバイクや車で走り街宣します。

笑顔あふれるカンボジア人ですが、それぞれの心に、国や生活を良くしたいという熱い思い

を抱えているんです。

 

今回は、密林少年という漫画をご紹介させていただきます。

この本の原作は、『アキラの地雷博物館とこどもたち』という、アキラさんの本です。

ポルポト政権のときに少年時代をここシェムリアップで少年兵として生きたアキラさんを

通して、当時のカンボジアのことを知ることができます。

ポルポト政権時代、国民の1/4とも1/3とも言われるたくさんのカンボジア人が

カンボジア人によって虐殺されました。

アキラさんも少年兵として戦い、たくさんの地雷を埋めていました。

その地雷を今は撤去していているんです。

この本の中では、アキラさんは、自分の両親を殺した人に会いにいきます。

そこで、放った言葉は、『友達になりませんか』

相手を見て、自分と同じ苦しみを抱えてることをさとり共有したのです。

内戦中は同じカンボジア人同士が殺し合いましたが、内戦後はそのカンボジア人同士が分裂

せずにお互いの悲しみや喜びを共有しながら生活しています。

カンボジア人の微笑みの深さを感じながら、私はカンボジアで生活しています。

 

2017年12月:「鬼一二三」

 

私は1995年よりシェムリアップで日本語教室を開いております。卒業生には時折、遺跡は

勿論の事、ホテルや土産物店に行った時に日本語を使って張り切って働いているところに

出会いますが、アキラ君にはめったに会う機会がありません。

アキラ地雷博物館に行っても、アキラ君が必ずいるとは限りません。平和のためにいつも

忙しく飛び回っていてくれるからです。

けれども、昨年と本年は日本から支援に見えた方のご縁でアキラ地雷博物館へもアキラ君の

シェムリアップオフィスにも伺う機会がありました。可愛らしい3人の子供達に囲まれた

アキラ君、皆パパにべったりで、優しい子育てパパなのだろうとすぐに分かりました。

美しい奥さんを亡くして以来、仕事と子育ての両立でさぞ大変だった事でしょう。

アキラ地雷博物館の方は、一二三日本語教室を支援して下さっている愛知県の団体の

皆様が、観光客のためにトイレを改築して下さることになり、本当に美しいトイレに生まれ

変わりました。

落成式典では司会と通訳のお手伝いをさせて頂きました。式典の後の祝宴の際、

優しそうな女性を紹介してくれたアキラ君、新しい奥さんを迎える事が出来たとの報告を

受け、自分の事の様に嬉しく思いました。

継続は力なりと言いますが、地道に細く長くとにかく頑張って続けていれば良い事が

あります。

 

 

鬼一二三 (おに ひふみ)
日本とカンボジアの交流の場 いろはにほへと.com

東京都認証 特定非営利活動法人 アンコールワット日本文化交流会 [NPO法人 KH(クメール)] http://www.npokh.org
カンボジア王国 シェムリアップ州  国際日本文化学園 [一二三日本語教室&123図書館&櫻空塾空手道場&アンコール柔道場]http://www.ijci.net/

Tel : +855(012)821977

E-mail  :  onihifumi@hotmail.com

 

2017年10月:「川広肇」

今回のメッセージは、原点に立ち返りまして、私が何故応援団を設立したかに付いてお話ししたいと思います。
(一番最初のメッセージでも、書いてはいますが)

私は2011年8月から、「アキラ地雷博物館」にてボランティアで日本語ガイドをしておりますが、私がカンボジアに来る10年以上前からアキラ氏に対する日本人の支援と言いますか、協力、手伝いは既に大勢の個人、団体を介して行われていました。
しかし、毎年の継続的な支援では無くて、それぞれが個々バラバラの単発的なものだった為、残念ながら日本人の支援が表に表れていませんでした。
支援していないなら兎も角、折角支援をしていながら表に表れていないのは非常に残念な事と感じた私は、日本人の支援を表に表す為に応援団設立を思い立ったのです。

1000人の応援団を組織して、毎年アキラ氏に対して1000万円の支援金を提供出来る様になれば、博物館の入り口に日本の旗を掲げる事が出来ます。(そう言う約束を、博物館の管理責任者であるアメリカ人のビルさんから取り付けています)
現在、博物館入り口には、カナダ国旗(実はカナダ国旗は9月に入って降ろされて、今はトリップアドバイザーの旗に代わっています。博物館を設立したカナダのNGO団体も、今は殆ど関わりを絶っていますので)、アメリカ国旗、オーストラリア国旗の3本の外国の旗が閃いています。
そこに日本の旗を、日の丸を加えたいのです。
そして、日本人がアキラ氏並びに博物館を支援、応援している事を、内外の人に示したいのです。
日本人が、武力を使ってでは無く、平和的な人的国際貢献をしている事を・・・。

日の丸は正直、あまり好きではありません。
若い人はあまり気にならないでしょうが、我々の世代か或いはその上の世代、特に戦争を体験した人々にとっては、日の丸は軍国主義を象徴する旗ですので、正直嫌いな旗です。
しかし、日本を表す為にはこの旗を使うしか無いので、いつかは日の丸を博物館入り口に掲げたい、それが私の願いです。
日本の旗を博物館を訪れるカンボジア人や外国人に見て貰い、アメリカ人やオーストラリア人だけで無く、日本人もしっかりアキラ氏及びカンボジアを支えているんだと言う事を多くの人に知って欲しいのです。

残念ながら現在の所、応援団員1000人の目標には程遠く、50人前後を行ったり来たりしています。
しかし、コア団員が100人となって、そのコア団員が仲間を10人誘って頂ければ、簡単に1000人突破致します。
応援団は、アキラ氏のファンクラブと考えています。
氷川きよしや小林幸子のファンクラブだって、恐らく会員は1000人や2000人居るでしょう。
世界的に有名なアキラ氏なのですから、そのファンクラブの会員が1000人なんて訳無いはずです。
私のやり方が、拙いだけだと思っています。

応援団を増やす術について、皆様方のお知恵を貸して下さい。
SNSが上手く使えたらいいのですが、年寄りなのでその能力は有りません。
何かいい手を思い付かれた方は、どしどし私にアドバイスをお寄せ下さい。
お礼は何も出来ませんが、愛情込めて「サンキュー」と申しますので。ガ・ハ・ハ・ハ。

2017年8月:「岩田亮子」

2013年、地雷博物館の川広氏とのご縁のお陰で、バッタンバンの我が児童養護施設 “Hope Of Children (HOC)” で、アキラ氏の体験談を直接聞ける機会を頂いた。
HOCの子ども達にとって、年齢的には父親位のアキラ氏の話なのだが、初めて聞く話に目を丸くしながらも既にどこか遠い異国での物語、地雷撤去進行中のバッタンバンでさえ、もう身近な話では無くなっていることが子ども達の表情から見て取れた。
歴史は繰り返すと言う。この話を風化させてはいけない。

未だたかだか30数年前の出来事ではないか。
同じ過ちを繰り返さぬためにも、自分は地雷を掘り続けると言うアキラ氏。
アキラ氏の様にその悪夢の様な体験から這い上がり、重過ぎる十字架を背負いながらも、罪を償う行動をし続けている人も他に例を見ない。また彼に代われる人もいない。
アキラ氏がやるから意義があり、彼でなくては語れない言霊がある。
戦争を知らぬ世代にもっと聞いて欲しい。事実を知って欲しい。

その稀少性と価値ある活動に敬意を表すると共に、その活動が平和への礎となるよう、心からの応援をし続けたいと思います。
子ども達の未来がいつも明るく希望に満ちたものであるために!!

    

カンボジア バッタンバン州
Hope Of Children 
岩田亮子

2017年6月:「田辺美穂子」

昨年の7月に、2年ぶりにシェムリアップを訪れ、10日間ほど滞在致しました。
さすがは発展著しいシェムリアップ。
見たことの無い新しい店や建物がたくさん増えていて、なんと、素晴らしいことに2年前には無かったレンタルバイクなるお店などもできていたので、早速かわいらしい原付をレンタル。 
2年ぶりにシェムリアップの町を疾走し、日頃のストレスを解消したりと、大変有意義な10日間を過ごすことができました。
カンボジアの道を原付で風を受けながら走るのは最高です。
メインロードを少し外れるだけで、道は車やバイクだけのものではなくなり、牛が歩き、犬が小走りをし、猫が遊び、鳥が道を横切ります。 道路脇の田では水牛が水に浸かり、牛が草を食み、子供が遊んでいる。 
アキラさんの地雷博物館でボランティアガイドをしていた頃、そんな光景を眺めながら原付でゆっくり地雷博物館に通うのが、私はずっと大好きでした。
 
かわちゃんこと我らの川広さんには、滞在中ずっとお世話になりっぱなしで、シェムリアップの町から遠く離れた遺跡観光に連れて行っていただいたり、夜は毎晩のように美味しい食事と冷たいビールで乾杯。
もちろん、アキラさんにも会わせていただきました。
アキラさんは相変わらずとてもおおらかで、私の顔を見るなりいつものニコニコ笑顔で
「あ、ミホ。またボランティアする?」
おう。  なんという魅力的な誘惑。   
そりゃぁもちろん許されるのならばまた半年でも1年でもアキラさんのもとでボランティアをさせていただきたい。
しかし今回の私には時間が無いのでありました。泣泣泣。
時間が無いから無理なのだと残念がる私にまた追い打ちをかけるように、「今からみんな(地雷撤去のディマイナーのスタッフ達や、アキラさんのお子ちゃま達)、お祭りに行くけど、一緒に行く?」と、またニコニコ。
思わずついて行きそうになる私の腕を川広さんが掴み、「ミホさんはこれから予定があるの!」と、漫画のようにズルズルと引きづられ連れ戻されるのでした。
そう、アキラさんとは、こんな方。 いつだってウェルカム。
私なんてカンボジア語もわからないし、なにかと支度も遅いし、暑さに弱くて日常的にボーっとしてるすこぶる不安な存在なのに、いつもこんな感じで「だからどうした?」的に声をかけてくれるのです。
まぁ、誘ってくれたからと言って、アキラさんも必ず一緒、というわけでもなく、ニコニコと笑顔で手を振るアキラさんを見ながら、「え、アキラさんは行かないの??」と、ボー然とすることも多々あることではあったのですが、そんなところもまたステキ。
 
原付でカンボジアの大地を走り抜け(大袈裟な)、美味しいカンボジア料理とカンボジアビールを堪能し、無限に広がるカンボジアの遺跡群にまた1つ出会い、アキラさんのニコニコ笑顔を拝み、また一段と大きくなったアキラさんの自慢の子供達の成長も見れて、日本でのストレスフルな生活にしぼんでいた私もまた大きく元気を取り戻せたのでした。
カンボジア・マジック、変わらず健在でした♪  ありがとう!! 

2017年4月:「田中千草」

私が日々関わっている子どもたちや保護者の中には,地雷や不発弾の被害に遭い,体の一部を失っていたり,体が思うように

動かなかったりする人が何人もいます。

その一方で,現在,シェムリアップ市内では,戦争・紛争時のことも,地雷のことも全く知らない現地の人が増えています。

若い世代の保護者や教員,子どもたちは,自分の国が抱えている重大な問題を知らずに暮らしているのが実態と言えます。

2007年にシェムリアップで暮らし始めてから,私は何度もアキラさんの地雷博物館を訪れました。私が訪れるときは大抵現地

の人と一緒だったので,アキラさんやアキラさんの義理のお兄さんのお話を直接聞く機会を頂いていました。その貴重なお話

を,外国人よりも,まず現地の子どもたちに伝えてほしいと願い,川広さんのお力添えによって,今は,毎年子どもたちが地

雷博物館を訪れ,学ぶ機会を提供して頂いています。戦争時代を生き抜いてきた,年配の保護者たちや先生方の体験談を子ど

もたちに聞かせるという取り組みも並行して行っていますが,アキラさんが行っていることの意義を,これからの世代に繋げ

ていけたらと願います。また,日本であっても,カンボジアであっても,自分の国の歴史や事実を知ることが,自分たちの未

来を作っていくことだということ,これからもみんなと一緒に考えていきたいと思います。

私には,アキラさんの活動の物理的な意味での応援は難しいのですが,子どもたちが事実を知り,自分たちで考えて

国民が自立してくことを応援するものとして,今後もアキラさんや川広さんたちと活動を深めていきたいと思っています。

2016年11月:「桑原さおり」

こんにちは。

呼びかけ人の、桑原さおりです。

11月になりましたね!

雨季も終わり、乾季になります。

日本の秋から冬に変わるように、いつも暑いカンボジアも涼しくなり過ごしやすい時期になります。

先日10月31日は、ここでもハロウィーンが盛り上がりました!

私が住んでいる、アンコールワットのある町シェムリアップは、外国人がたくさん訪れます。

外国人たちが集まるエリアを中心に、たくさんのカンボジア人たちも集まり、仮装を楽しみます。

カンボジア人たちの仮装は、恐ろしいお化け(ゾンビ)が多く、パーティで派手なメイクをするカンボジア人たちのゾンビメイクはとてもクオリティが高く、見ていて素晴らしく思います。

さて、先日youtubeで、「combodia1965」というカンボジア内戦前の映像を見ました。

日本でいうと、1964年に東京オリンピックが開催されたその翌年になります。

農業もさることながら、工業化もされていました。

製紙工場、繊維工場、自転車工場などがあります。

町の景色も、整然としていてとても美しい。

カンボジアから想像するものと違うかもしれません。

カンボジア人の日本語ガイドに、内戦前のことを聞きました。

「内戦前のカンボジアには、何でもありました。それを考えると涙が出てきます。」と言っていました。

内戦時代、どれほどの破壊をしたのでしょう。

活字や写真で調べるのもいいですが、映像でも見るのもおすすめいたします。

主要の町の様子       シェムリアップはANGKOR と表示されています。                                    空港も今と違います。アンコールワット前の道もきれいです。

工業の様子