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ガイド交代のお知らせ

今年2月から「アキラ地雷博物館」の日本語ガイド及び当HPの管理をさせていただいておりましたが、今月より島根県出身のアオキタカユキさんにバトンを渡すこととなりました。

カンボジアを心から愛する、真っ直ぐな青年、アオキ君にこれからも温かいご声援をお願い致します。

短い間でしたが、ありがとうございました。

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   田辺 美穂子

 

2014年5月: 「星野 剛」

 

仕事柄、海外に行く機会も多いですし、プライベートでも長期休みの度に海外旅行をしていますので、多くの人々と出会い、たくさんの笑顔や元気、そして勇気を分けていただいておりますが、「ふっ」とした瞬間にカンボジアのことを思い出すことが多々あります。                                               また、カンボジアに帰ってくると、なぜか「ほっ」とする。私にとってのカンボジアとはそんな場所です。

私がそこまで引き付けられているカンボジアの魅力とは何でしょう?改めて考えてみました。

世界遺産「アンコール遺跡群」が素晴らしいのは言うまでもありません。「一生に一度は行きたい」世界遺産のランキングでは必ず上位に顔を出すほどの人気の観光地で、その期待を裏切らない美しさと迫力をもって、迎えてくれます。

ただ、素晴らしいのは間違いないのですが、私が引き付けられているカンボジアの魅力=アンコール遺跡群」と考えると、残念ながら自分自身「ピン」とくるものがありません。

では、何か?

たぶん私は、カンボジアの人々の人柄や笑顔。そして、街並みや雰囲気など、世界遺産「アンコール遺跡群」以外のカンボジアの「素顔」に引きつけられているのだと思います。

カンボジアを訪問したことが無い方々の多くは、「アンコール遺跡群」以外では、「内戦」・「治安が悪い」・「貧しい」といった、どちらかを言うと「負」のイメージをお持ちの方が多いと思います。

また、実際にカンボジアにお越しになられた方でも、遺跡の周りで子どもたちが、ポストカードなどのお土産を売っている姿や、貧富の格差などを目の当たりにして複雑な思いを抱かれる人もいらっしゃるでしょう。

では、私たちが考える「貧しい暮らし」とは何を基準にしているのでしょうか?

たぶん、自分たちの日本での暮らしを無意識に基準にしてしまっているのではないかと思います。蛇口をひねれば、水はもちろんのこと、お湯までも当たり前に出る暮らし。6歳になっていれば、当たり前のように小学校へ入学する暮らし・・・。

そのような、近代的な生活が普通になっている日本人にとっては、毎日1 ドル以下で生活しているような人々を貧しいと思ってしまうのではないでしょうか。

確かに、私たちの生活を基準で考えた場合、「貧しい」と思ってしまうことは仕方が無いことかもしれません。でも、カンボジアの人々は、私たち日本人が残念ながら忘れてかけてしまっている人として生きていくうえで「大事な心」をたくさん持っており、私も訪問する度に、彼らや彼女たちから、たくさんの事を学ばせていただき、そして、思い出させていただいております。

「アンコール遺跡群」を見ることを目的に、カンボジアを訪れることが悪いことだと言っているわけではありません。ただ、今後、カンボジアを訪れることがあるようであれば、ぜひ、カンボジアの「素顔」を見ることも目的の1つにしていただける人が1人でも多く増えれば良いと思っております。

 

(株)日本エコプランニングサービス

    星野 剛

2014年3月:「川広 肇」

1月末で博物館でのボランティアガイドの仕事を終えて、今、日本に帰国しています。

カンボジアでも毎日「NHKワールドプレミアム」を見ていましたので、日本の状況はある程度知っていましたが、帰国してみると改めて政治がどんどん可笑しな方向に進んでいるのを実感します。カンボジアと比べて、気候的には勿論寒くて震えていますが、気候だけで無く日本の政治状況に身震いしています。おおっ、寒っ。寒すぎて、小便ばちびりますタイ。

 カンボジアの政治状況も、まだまだ発展途上ゆえ遅れた部分が一杯有りますが、それでも国民は内戦の深い傷から脱却し、明るい未来を夢見て、毎日ビールを飲んで生活をエンジョイしていました。

もっとも、毎日ビールを飲んでハチャメチャだったのは私でして、カンボジア人はそんなに飲兵衛では有りませんので、念の為。   その飲兵衛の私が言ってもあんまり説得力が有りませんが、でも、今の安倍政権は、日本の気候以上にお寒い政権で、異常気象ならぬ異常政権です。言わずにいると頭が可笑しくなりそうなので言わせて貰います。是非、聞いて下さい。(まあ、頭が可笑しくなりそうと言うのはウソで、前から可笑しかったのですが、ハハハ。)

 ここからが本題です。

いつもはピンクな話題が好きな私ですが、今日はちょっと固い話しになります。でも、何処かにピンクネタを差し込みますので、どうぞ最後まで読んで下さい(ほんまかいな)。

 まず、現在の日本の政治状況ですが、積極的平和主義を掲げる安倍政権の下で国家秘密保護法が可決され、武器輸出三原則の見直しが俎上に載せられ、集団的自衛権の行使に道が開かれようとしています。学校教育においても、愛国心を説き、道徳の教科化を推し進め、教科書検定基準の見直しを図って戦後の民主教育を否定し、子供達に国を守る事は国民の義務との意識を植え付けようとしています。先の大戦で大勢の犠牲者を生み、世界で唯一の被爆国として塗炭の苦しみを味わった先人達が、2度と戦争をしてはならないとして守り続けて来た憲法9条の見直しを最重要課題に掲げ、一路その方向に突き進んでいます。

世界に冠たる平和憲法を有する国として他国をリードし、世界中から戦争を無くす方向を目指すのか、それとも人類史上戦争が無かった時代は無いのだから、これからも無くなることは有り得ないとしてアメリカに従属し、戦争の出来る普通の国を目指すのか。今、日本の進路が岐路に立たされています。これを正しい方向に導くのは世論の力しか無いのですが、その世論が今、中国や北朝鮮の現実的脅威を前にして右へ右へと傾いています。(カンボジアでは車は右側通行ですが、日本は左側通行です。何も日本が右側を走る必要は無いのです。何のこっちゃ)

学校におけるいじめ問題や、在特会による在日韓国人、朝鮮人に対する激しい誹謗中傷、ネット右翼の出現など、社会の矛盾、自分の存在意義の不確かさを自分より弱い者への攻撃に転化する事で、解消しているかの様であり、非常に危険な兆候です。

カンボジアでは見る機会は無かったですが、日本に帰るとテレビではワイドショーを何処の局もやっています。そのワイドショーで今毎日取り上げられている話題が、東京の図書館で「アンネの日記」が破られる被害が相次いでいると言うものです。まだ真相は分かりませんが、これなんかも不気味な兆候です。

 それを積極的に食い止めようとする民主的な人々は確実に存在するのですが、しかし、小選挙区制という民意を全く反映しない選挙制度の下では手足をもぎ取られ、世論をリードする勢力にはなり得ません。国家秘密保護法の国会審議の折には、かなりの数の反対勢力が国会を取り囲みデモをしましたが、それでも阻止するまでには至りませんでした。いくら頑張っても社会は変えられないと言う無力感、絶望感に苛まれ、精神的にも肉体的にも疲弊し切っている事でしょう、きっと。

勿論どんな状況になろうとも、挫ける事無く、社会を良くする為に信念を貫き通す凄い人達も大勢居ますが、私なんかにしたら、もう気力が萎えて立ち直れません。もう日本も、行きつくところまで行かないと何も変わらないのでしょうか? 或いは、坂本竜馬の登場を待つしか無いのでしょうか?

 日本に帰って来て、もう1つショッキングな事が有りました。

私は、今話題になっている百田尚樹著『永遠の0』をカンボジアに行く前に読んで大変感動し、博物館のお客さんにも是非読むようにと勧めていました。ブログにも、アキラ氏の『アキラの地雷博物館とこどもたち』(三省堂版)『密林少年』(集英社版)と並んで、『永遠の0』を推奨図書に上げていました。戦争の悲惨さ、愚かさを余す所無く伝え、無能で保身に走る愚かな戦争指導者を見事に抉り出した素晴らしい作品として大変評価していました。帰国した時にちょうど映画もやっていたので、それも見ました。

そして、その映画を見た後でネットで「百田尚樹」を検索し、愕然としました。

何と百田氏は、安倍首相の大親友で思想的にもかなり近く、憲法9条を否定して反対に軍備増強を主張している人物だったのです。

9条を守ろうと主張している人たちを揶揄して「すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す。そして他国の軍隊の前に立ち、「こっちには9条があるぞ!立ち去れ!」と叫んでもらう。もし、9条の威力が本物なら、そこで戦争は終わる。世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる。」などと主張しています。

 この百田氏を、私は大変素晴らしい作家だと評価し、『永遠の0』を珠玉の名作として絶賛していたのです。自分の読解力の無さ、人を見る目の無さに震えおののいています。これまで、女性を見る目は確かだったのに、男を見る目が無かったのかなあ、ガックリ。

 いくら軍備を増強しても紛争を解決する手段となり得ないのは、アフガンやイラクの例を見るまでも有りません。最終的に行き着くところは核戦争であり、人類滅亡です。

『永遠の0』は、一体何を訴えたかったのでしょう。単に神風特攻隊を賛美し、彼等の犠牲の上に今の日本があるのだと主張するだけの物だったのでしょうか。

私は昔、鹿児島の「知覧特攻平和会館」を2回程訪れ、年端も行かない若者が、志願という形は取っているものの逆らえない状況の中で、命と引き換えに敵艦を攻撃して散って逝ったその姿に涙を禁じ得ませんでした。尊い命が、何故こんな愚かな戦争指導者の所為で犠牲にならなければならなかったのかと。 国を守るのは、愛する家族を守る為なのだから、戦争で命を国の為に捧げるのは止むを得ない事だと説きたかったのでしょうか。

愛する家族を守る為には、戦争をしてはならないのです。 9条を持っているだけで、世界平和に貢献出来るとは思っていません。9条の理念を世界に広めて行くのです。原発の事は又稿を改めますが、危険な原発を輸出するのではなく、平和を希求する憲法9条を世界に輸出するべきなのです。そうする事で、日本は世界から尊敬される国になるのです。現政権がやろうとしている事は全くの真逆です。

 私は、日本と言う国が好きです。自分が生まれた国であり、家族や友達が居ますし、その自然・風土や歴史、文化に誇りを持っています。正に愛国心を持っています。オリンピックでは日本人選手を応援しますし、カンボジアに居ても日本人と見ると声を掛けたくなります。もうバリバリの愛国主義者です。

しかしその愛国心は、安倍政権が考えているものとは違います。彼らは、国家を国民の上に位置付け、国を守る為には国民一人一人の権利、自由は制約を受けても止むを得ない。国を守る為には国民の少々の犠牲は止むを得ないと考え、国民に国を愛する事を強要しようと考えています。

私は、国を愛するからこそ、絶対に2度と戦争をしてはならない。国を守る為にこそ、不戦の誓いを守り、日本が率先して世界を紛争の無い方向に導いて行くべきだと考えています。

 私は今、中国や韓国、北朝鮮やロシアが好きかと聞かれたら、嫌いだと答えざるを得ません。日本に対する態度が余りに理不尽です。ついでにアメリカも嫌いです、日本に原爆を落とした国ですから。しかし、嫌いだからといって非難し合っていて何の得があるでしょう。何れは地球規模での食糧危機、環境汚染、自然災害がやって来るでしょう。その時にいがみ合っていては、お互い共倒れになるだけです。人類が生き残る為には、紛争を止め、世界が手を携えて行くしか無いのです。

まだ孫は居ませんが、私にも子供が3人います。やがては孫も出来るでしょう。その子や孫、更に後の世代の為に、人類の未来の為に我々は地球を守って行かねばならないのです。

重ねて言いますが、愛する家族を守る為には、戦争をしてはならないのです。
愛する国を守る為にも、戦争をしてはならないのです。

そうした事を考える為にも、是非一人でも多くの人にカンボジアを訪問して頂きたいと思っています。内戦の遺物である「キリング・フィールド」「トゥルスレン博物館」、そして「アキラ地雷博物館」を見て頂きたいと思います。

戦争は一部の排外的、独善的為政者と好戦家によって引き起され、他国の脅威から国を守る為との理由で行われます。侵略戦争であっても、自衛の為、或いは他国を圧制から解放する為との理由付けが為されます。一旦戦争が始まってしまえば、それに反対するのは至難の業です。それこそ命懸けです。国の為に戦う事が正義とされ、反対する人達はアカだの国賊だの非国民だの売国奴だとのレッテルを貼られ、徹底的に排除されます。国の空気そのものが戦争遂行一色になるのです。国の為では無い、家族を守る為なのだと自分を納得させて、人々は戦います。そして、その結果残るのは多くの一般庶民の命の犠牲と生活の崩壊、貧困、文化文明の破壊です。戦争をビジネスとしている一部の人間と為政者だけはそうした中でも肥え太りますが。戦争は悪そのものであって、必要悪では有りません。絶対に戦争をしてはならないのです。

カンボジアは、内戦が始まる1970年頃迄は、大変豊かで発展した国でした。しかし、30年近い内戦の為に多くの庶民が犠牲になり、国力は衰え、内戦が終結して20年近く経った今でも、教育や産業などの一部は50年前の水準に到達していません。犠牲はかくも大きいのです。そして今や核兵器の時代です。もし核が使われたなら、犠牲はそれどころでは済まないのです。

安倍政権は、「戦争をしようと思っている訳では無い。しかし、自分の国を守る為の準備はしておかなければならない」として、自衛隊を軍隊に格上げし、軍備増強並びに憲法の改悪を推し進めようとしています。9条の改悪が一朝一夕に行かないと見ると、解釈改憲で集団的自衛権の行使に道を開こうとしています。正に日本を戦争の出来る国にしようとしています。他国と同列に日本を貶めようとしています。折角日本は、他国よりも優れた憲法9条を持っているのに。

 憲法について、もう1つだけ言っておきたい事があります。改憲論者の中には、「今の憲法はアメリカから押し付けられたものである。独立国として自主憲法を持たなければならない。だから改憲するのだ」と主張する人達が居ます。

しかしそのアメリカは、現在日本の憲法改悪を強く望んでいます。日本が軍事力を持つ事によって、自らの負担を軽減したいと考えています。今、憲法を変えることは、それこそ、アメリカの言いなり、アメリカの押し付けに屈する事になるのです。

 楽観論者、或いは無関心、或いは自分の事に精一杯でそんな事を考えている余裕は無いと言われる人々も、手をこまねいていては、いつかは自分自身が大きな渦に巻き込まれ、抗おうとしても気が付いた時には既に手遅れ、という事になってしまうのです。

是非考えて頂きたい。カンボジアを見て欲しい、広島や長崎を見て欲しい。それが私の願いです。

 アワワ。ピンクネタを差し込んだり緩急を付けようと思っていたのですが、ついついストレート勝負に行ってしまいました。カンボジアに居るとビールを飲みながら書くので、もう少し柔らかい事が書けるのですが、日本だとビールが高いので、そうそう飲むのもままならず、ついついわき目も振らずにまっしぐらとなってしまいましたが、どうぞお許し下さい。

還暦を迎えたオッサンの戯言と捉えて頂いても構いませんが、もし可能なら、私、川広からの伝言として、貴方がカンボジアを訪れる時に訪問の目的を考える際の目安の1つとして頭の片隅にでも留めておいて頂けたらこの上ない喜びです。