2014年12月:「田子真弓」

 

チョムリアップスオー。寒くなってきましたね。カンボジアの暑さがかなり恋しいまあちです。

今回は「文房具などの物資の支援」について、私が思っていることを書きます。もうカンボジアから足が遠のき約3年。結婚して子供ができ、近かったカンボジアが最近は遠くに感じられて少しさみしいです。こうして長く日本にいると、世界で困っている人たちがたくさんいることはわかっていても、自分には何もできないようなそんな気持ちになりませんか?世界の人達よりも、もっと身近で困っている人がいる、やるべきことがある、私ができる小さなことなんて、何になるの?そんな気持ちに。

日本にいる状態で、できる支援といえばやはりお金や物資での支援。いろいろありますよね、よく目にしますよね。でもそれって、現地の人達が本当はどう思っているのか、本当にちゃんと困ってる人を「助ける」ということになっているのか。私がカンボジアにいる時に、その疑問を現地の人にぶつけたことがありました。「ぶっちゃけ、文房具とかの支援ってどうなの?」「ぶっちゃけ、お金…かもしれんけど、本当に足りないものは何?」など。私は地雷博物館で働く前、トンレサップ湖の学校、バッタンバンの学校などに文房具を届ける活動を手助けしていたこともあり、トンレサップ湖で仲良くなったぽっちゃり先生(ボランティアで子供たちを教えていたすごく優しくステキな先生)に、上記の質問をしてみたことがありました。

以下、私の当時のブログより抜粋。

 

(Cammy’s Factory 「ぽっちゃり先生を訪ねて」より)

物資の支援はすごく難しい。善意から始めても、ものをあげて、あげた人自身が満足するだけだったら意味がない。特にトンレサップ湖周辺の学校や集落は、いろんな国から、いろんな人から支援をうけていて、それは大きければ学校を建てたり、個人レベルであれば、文房具や服などを持っていったり様々だけど、支援されて当然、というかもっとちょうだい?と考えてる人も少なからずいるように思う

「物資の支援は、支援を受ける側の人たちを物乞いにする」というなかなか厳しい、しかし時に的を得ていると思う意見を聞いたことがある。本当の支援は、彼らが自分でそれらを買えるようになる手助けをすること。仕事を教える、子どもへの教育、カンボジア人自身が自分たちの手でカンボジアを発展させていけるように手助けをすること。知ってるけど!そんな理屈も知ってはいるが、そしてたいへん正しいとも思うが、私は、「ものを持って行って、あげる」という方法が、そんなに嫌いではない。「物資の支援」という難しく固い言い方はあんまり好きではないけれど、こうしたからこうしてほしい、という見返り抜きの気持ちは、困ってる人、悲しい思いをしている人に何かしたいという純粋な気持ちはあったか~い愛のかたまりそのもの。そして何もしないで何もできないと思っているよりは、そうして自分のできることを小さくとも行動した方がすごいと思う。

ぽっちゃり先生は、私の質問にこう答えました。「文房具は、いつでも、どれだけでも嬉しいと思う。ここでは、学校に入って授業を受けるのは無料なんだけど、制服や文房具類は各家庭で用意しなければならなくて、それが難しい家庭もある。そういう負担を少しでも減らせられればもっとたくさんの子どもたちが未来のために学べるようになるんだ。子どもたちは、大切に文房具を使っている。たくさんの人たちが自分たちのことを想ってくれていることを、わかってるよ。」

一方的な物資の支援じゃない。彼らのことを物乞いになんかしない。文房具と共にちゃんとその想いを、やさしくてあったかい気持ちを伝えれば、それは「世界共通・思い遣り」なんだ。   以上。

 

現地で自分が汗を流してする支援もある、でも日本にいてもできること、困ってる人を笑顔にする方法はきっとある。毎日忙しい!!!でもその中で自分ができることを少しずつでもしていけたらいいなと思うのでした。

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